煌月の鎮魂歌3

 

 

26 煌月の鎮魂歌 3 1/72015/04/06() 07:42:36

           3

 悪夢を見ている気分だった。それとも麻薬の夢か。
 コカインもヘロインもやったことはある。もっとキツいやつも。酷いやつも。
〈赤い毒蛇〉のもとにはすべてが集まってくる。悪魔のもとにご機嫌伺いに差し
出される中には人間もあればクスリもある。徹底的に最低なやつが。天使の顔と
身体を持ち、地獄の口と指とあそこを持った女や男。
 ベッドの端に腰かけて、ユリウスは足の間でゆっくり動いている銀色の髪を
見ている。ヴェールのように垂れかかっている髪をかきあげたくてたまらないが、
麻痺したように身体が動かない。
 部屋の中が急に熱くなった気がする。地獄の炎であぶられているかのように。
その中で白い顔と指だけが涼しげに音もなく動いている。たてているはずの音は
すさまじい耳鳴りに邪魔されて聞こえない。
 ときおりちらりと見える自分自身の肉──すさまじいばかりに怒張したペニスが
何か別の物体のように思える。自分とは切り離された異様なエイリアンの器官の一部。
だがそいつが伝えてくる感覚がユリウスの心臓を一秒ごとに絞り上げ、溺れた者の
ように喘がせ、罵りの言葉ひとつ発することができなくさせている。
 巧いわけではない。むしろ下手だ。この街では七歳の子供でももっとうまく男の
ものをくわえる。キャンディ・バーをしゃぶるより早くやり方を覚えるのだ。そうで
なければ生き残れない。ユリウスは子供は好みではなかったが、ポルノ・ショップの
前に立つ娼婦や男娼たちにしばしば十歳以下の少年や少女が混じっているのは常識だ。
 腐りかけたニンフェットたち。部下たちがときどきそうした子供を買っては殴り
つけ、楽しんでいるのも知っている。好きにさせておいた。誰でもみな生きなければ
ならない。あのガキどもも自分たちにできる仕事で稼いでいるまでだ。
 心臓の鼓動が激しすぎて目がくらむ。喉がかわく。
 ユリウスはまばたきして目に入る汗を払った。指一本動かせない今の状態ではそう
するしかなかった。
 銀色の髪がさらりと揺れて、青年の横顔が見えた。なんの動揺も、嫌悪感も見せず、
男のペニスに指をからめている。煙るような睫毛を伏せて、手のひらに乗せた肉塊を
撫でさすっている──恐ろしいまでに場違いに見えるそいつに唇をあて、慣れない仕草
でくわえこむ。

27 煌月の鎮魂歌 3 2/72015/04/06() 07:43:31

 小さい口にはとても全部入りきらないものをせいいっぱい飲み込んで動かし、小さく
むせて吐き出す。呼吸をととのえてまた手をのばし、支えるように捧げ持って横に唇
と舌をあてる──フルートを吹くように。
 どれもこれも下手くそだ。その辺の娼婦ならそろそろ苛立った客にブーツを口に
たたき込まれてポップコーンのように前歯をまき散らしている。
 だが、くそっ、俺は興奮している、とユリウスは爆発しそうな頭でようやく思った。
 せんずりを覚えたての中学生みたいに興奮している。体中の穴という穴から血を噴き
出しそうに興奮している。最悪の変態趣味の乱交ポルノムービーも鼻で笑った毒蛇が、
この銀髪の青年のつたない指先と舌と唇に、身動きもできないほどにからめ取られて
いる。
 震える手を苦労してのばして相手の髪をつかむ。つかめたことに内心驚きながらぐい
と上向かせる。
 青年はわずかに驚いたようにまばたいたが、抵抗しない。髪をつかまれたままじっと
ぶら下げられ、喉を鳴らしているユリウスの凝視を受け止める。
 唇がぬれて赤い。乱れた髪が額に二筋三筋散り掛かっている。それだけだ。何も変化
はない。降り注ぐ月光に似た冷たさと透明さ。
 突然の凶暴な怒りにかられて、ユリウスは力任せに白い頬を殴った。二度。三度。
 拳が当たるたびに天使のような頭はのけぞって力なく揺れた。肩で息をしながら殴打
をやめると、静かに顔をあげた。一瞬残った赤みがすぐに引いていき、なめらかな
純白の肌が戻った。なんの動揺も痛みも表さない、氷の青の瞳が見返していた。
「まだ続けるか」
 声もまた純白で透明、なんの感情も怒りも痛みも現れていない。
「それとも、こちらのほうを続けるか」
 殴られていた間も離さなかったらしい手のひらを示す。そこに乗せられた赤紫色に
膨れ上がったなにか、自分の一部とは信じがたいほど巨大に膨張した器官を目にした
瞬間、ユリウスの目の裏で赤い光がはじけた。
 ほとんど意味をなさない叫び声をあげながら銀の髪を手いっぱいにつかみ取る。
頭の皮ごとはがれかねない強さで引っ張り、相手の頭をわし掴みにして、その驚く
ほどの小ささを感じながら、開かせた口に膨れ上がった器官を突っ込む。

28 煌月の鎮魂歌 3 3/72015/04/06() 07:44:14

 突然のことに青年がむせ、反射的に顔をそむけようとするのを強引に引きつける。
小さい頭、片手で握りつぶしてしまえそうな繊細な頭に鉤爪のように指を食い込ませ、
前後にゆさぶり、腰を叩きつけんばかりに奥へ突っ込む。
 期待したような抵抗はない。青年の動きはまったく反射的なもので、抗おうとした
手からもじきに力が抜ける。喉の奥を突かれるたびに身体がひくつき、咽せる息が
わずかに漏れるが、うすく開いたままの目にうっすらと滲んだ涙以外、なにひとつ
変わりはない。
「くそっ」押し殺した声でユリウスは呻いた。「くそっ、くそっ、くそっ、くそっ」
 全身を電流が走り、目がくらんだ。手を離し、ユリウスは溺れかけた者のように空気
を飲み込みながらベッドに身を沈めた。
 離された青年はその場に倒れ込み、両手をついて起きあがった。掴まれていいように
振り回された髪は雨のように散り、床に乱れて輝いている。美しく。何にも触れられる
ことなく。
「終わったのか」
 月が言う。天の高みの月が。何にも触れられない、孤高の月が。
「まだ、するか」
 その口もとにわずかにこびりついた白いものに気づいたとき、ユリウスの腹の底で
赤い潮が弾けた。
 獣のような叫び声をあげながら彼は相手を突き倒し、腕をひねりあげて床に這わせ
た。
「何を……
 腰を上げさせられ、ズボンとベルトを引きちぎるように脱がされるのに一瞬の抵抗が
あったが、頬を数発張るとすぐに力は抜けた。光る海のような銀髪が汚れた床を
覆った。犬のような姿勢をとらされ、むきだしにされた臀を高く上げさせられても、
髪に覆われた白い顔はなんの感情も伺えなかった。
 慣らしもせずに突きいれたとき、背中がびくりと反り、手足がこわばったが、
それだけだった。そらせた白い喉は息をのむように一度上下しただけで、床の上に
ふたたび俯せた。
 狭くてきつい内部をユリウスは強引にかき混ぜ、突き上げ、揺さぶった。これまで
どんなクスリも酒も与えてくれなかった強烈な、吐き気のするような快楽だった。
熱くやわらかく、地獄の娼婦のあそこのように絡みついてくるそこは煮え立つ陶酔
の沼だった。

29 煌月の鎮魂歌 3 4/72015/04/06() 07:45:04

 ユリウスは唸り、一度達し、また達した。欲望はまったく衰えなかった。それ
どころか、よけいに燃え上がった。中に出されるたびに短く息をのむ相手の身体が
目のくらむほど輝いて見えた。肘から先を床につき、はげしく揺さぶられながら
身体を支えている彼の動きを見て、ユリウスはあることに気づいた。
「お前。知ってるな」
 耳障りな呼吸音のあいだから、自分がそう言うのをユリウスは聞いた。髪で半分
隠れた相手の頬に、確かにかすかな震えが走った。
「犯られたことがあるんだろう。男に。それも何度も」
 青年は小さく息を吸い込み、何か反論しようとするかのように身を起こしかけた。
だがそれも一時のことで、すぐに唇を結び、あきらめたように力を抜いた。
「売女が」
 顔をそむけ、蒼白になりながら横たわる犠牲者に、ユリウスは毒のような言葉を
吐きつけた。毒は彼自身の舌も焼いた。喉を焼き、胸を焼き、一言口にするたびに
彼が相手に与えようと思う以上の傷を彼自身にも焼き付けていった。
「売女。淫売。牝犬。何がベルモンドの至宝だ。どうせ代々の当主様とやらと寝て
きたんだろう。それとも男なら誰でもいいのか。半分吸血鬼なんだったな。男と
やって、それから血を吸うのか。俺のことも、新しいミルクが欲しいってだけか。
この、淫乱が。牝犬。売女。売女」
「ちが……
 あげた微かな声は小さな喘ぎにかき消された。これまでより強引に腰を叩きつけ
はじめたユリウスの動きで身体が揺さぶられ、声すらたてられないのだった。
 なめらかな内腿に精液と血が伝い落ちていく。上着が脱げ、乱れたシャツが
かろうじて引っかかっているだけの反った背中に爪を立てて、ユリウスは思いつく
かぎりの罵倒を嵐のように吐き続けた。売女や淫売はごく穏健なほうだった。
この地獄の街の最下等の娼婦でさえも顔色を変えるほどの悪罵が投げつけられた。
 呪詛にも似たそれを全身に浴びながら、青年はやはり動かなかった。苦痛に青ざめ、
大理石のような肌をいよいよ白くしながら、どんな罵倒にも屈辱にも殴打にも反応を
示さない。

30 煌月の鎮魂歌 3 5/72015/04/06() 07:45:58

 それがいよいよユリウスを怒らせ、さらなる暴力に駆り立てた。上質なスーツの
上着の残骸がはぎ取られ、立てられた爪がいく筋もの赤い傷を作ってすぐに癒えて
いく。何度作っても消える傷に苛立ち、同じ傷をえぐるように爪を突き立て、噛み
つき、歯を立てる。
 血の味が甘く舌に溶けた。吸血鬼に血を吸われた者は吸血鬼になる。吸血鬼の血を
飲んだ者はなんになるのか。芳醇なワインのような数滴の血は味わったこともない
魔薬だった。夢中で腰を打ちつけ、毒の言葉を注ぎかけながら、ユリウスは甘い血と
肉をむさぼった。すぐに治ってしまう傷を舌でさぐり、食いちぎり、痛みと血を
そこから搾り取ろうとした。
 貫かれ、食われ貪られながら、青年はただ無抵抗に身を投げ出していた。うすく
開いた目にわずかに涙がにじんでいるほかは、ときおり震える息をついたり深々と
突かれて身をこわばらせたりするだけがすべてだった。人形同様に膝を立て、される
がままになっていることがよけいにユリウスを怒らせるのを知ってか知らずか、嵐の
吹きすぎるのを待つ花のようにじっと頭を伏せている。
 開いた喉もとになにか光るものがあった。血にくらんだ目でユリウスはそれを見た。
細い、古びた金の鎖。そう頭の端で思った。
 ぐいと大きく腰を進められ、声もなく青年は身をのけぞらせた。乱れたシャツの中
から鎖の先についたものが転がりだした。金色の、丸い、指輪のようなもの。男物の、
ごつい金の印章指輪──
 だがきちんと視界にとらえるより前に、さっと動いた青年の手がそれを隠した。
それまでの無抵抗が嘘のような素早い動きで青年は指輪をつかみ取り、手の内に
握りこんで引き寄せた。自分以外の誰の目に触れることも許さない、そんな動き
だった。
 握りこんだ拳を口もとに引き寄せ、唇がかすかに動いた。短い言葉が祈りのように
繰り返され、かたく閉じた目から涙がこぼれて落ちた。
 なんと言ったのかは聞き取れず、手の中に隠された何かを知らそうとしないことが
いっそうユリウスを激高させた。唇に甘い血をなめながら、ユリウスは獣と化して
責め立てた。

31 煌月の鎮魂歌 3 6/72015/04/06() 07:46:44

 どんなにいたぶっても、殴られ抉られ痛めつけられても、拳はけして開かなかった。
ほとんどされるがままの青年の中で唯一力を持つもののように、かたくなにそれは
あった。汚れた床の上にたったひとつ残った、白く輝く意志。それはユリウスの、
こじあけて中を見てやろうという気持ちさえくじくほどの、強烈な拒絶を内包
していた。
 唸り、吠え、罵りながら、ユリウスは青年をただ犯した。銀色の月、天空にあって
ただ動かない、冷たい魔物の月を。

 
 汗と血と、──精のにおい。
 濁った空気の中に、ユリウスは手足を投げ出していた。指一本動かすのも億劫なほど
だった。肉体的にも、精神的にも。身体の下に汗で湿ったマットレスがあるのが
ようやくわかる程度だった。天井は霞がかかったように曇り、裸電球の光が橙色の
靄に見える。
 呼吸するのさえ一苦労だった。全身の力という力を使い果たしてしまったように
思える。
 長い時間だったのか、短い時間だったのかもわからない。朝なのか、夜なのかも
まったくわからない。外でいつのまにか百年が過ぎていたとしても、今のユリウス
なら受け入れたろう。
 頭が割れそうに痛む。たちの悪い酒を飲み過ぎたあとのような──だが、これまで
どんな酒だろうとクスリだろうと、バッドトリップの経験はなかったのだ。この美しい
魔に触れるまでは。
 きしむ首を無理に曲げて、ユリウスはベルモンドの使者のほうへ目を向けた。
 彼もようやく起きあがったところだった。いつまで続いたとも知れぬ激しい陵辱が、
さすがに彼の身体にもいくつかの痕跡を残していた。内腿にこびりついた血と精液の
跡、肩口や首筋に残る血、避けた服、透き通りそうなほど蒼白な頬。唇には噛み破った
あとがあり、朱い唇をいよいよ赤く染めている。
 むき出しの下肢をよろめかせつつ、壁にすがって立ち上がろうとするところだった。
今はかろうじて残骸が残っている程度のシャツの胸元、金鎖に通された何かをまだ
握りしめている。それが唯一の拠り所のように、しっかりと胸に押しつけて。

32 煌月の鎮魂歌 3 7/72015/04/06() 07:47:28

 われ知らず、ユリウスは手をさしのべようとした。なぜ自分がそうしたのかわから
なかった。裸足の足の痛々しさに、むきだしの腰の細さに、引き裂かれた布に覆われて
いるだけの薄い肩に──手を触れて、支えてやりたいという闇雲な衝動がつきあげた。
 ゆっくりと顔がこちらを向いた。乱れた銀の髪の雲の向こうで、青い瞳が見つめて
いた。かすかな金色の光が奥で揺れていた。
「満足か」
 かすれていたが、言葉ははっきりしていた。ぎくりとユリウスは身を引いた。そして
自分が何をしようとしていたのかいぶかしんだ。
 青年は静かに、ただそこにいた。血と精液に汚され、血肉を食いちぎられ、服を引き
破られて体内までもさんざん蹂躙された直後にも関わらず、その声には一点の曇りも
なかった。
「私はお前の条件を飲んだ。今度はお前が私の申し出を飲む番だ」
 ユリウスは動けなかった。ブロンクスの悪魔、〈赤い毒蛇〉ともあろう彼が。
 悪罵も嘲弄も憤怒も、胸の中のすべてが死んでいた。酷い無力感と敗北感──普段の
彼であれば殺されようが認めなかったものが重くのしかかってきた。ユリウスは
はっきりと感じた。
 自分が敗北したことを。
「私とともに来てもらおう、ユリウス・ベルモンド」
 美しい声が弔鐘のように鳴り渡った。
「街の外に車を待たせてある。持ち物は要らない。すぐに出発する」