Awake 2

 

 

15 Awake 2話(1/162013/09/20() 05:03:28

――最近、早すぎる埋葬の件数が多くなっている気がする……
――
あら、コレラの蔓延が凄いから。嫌ぁねぇ。ここ最近死者の数が多すぎて、吸血鬼
でも出るんじゃないの……? ま、この科学の発展している時代にそんな物出て来る訳
無いんだけどね。

 巷の噂とはいつの世も口さがないものと相場は決まっているが、今回ばかりは楽観して
いられない。

 実際に自分の村でも通常の祈祷が効かない、二週間前に埋葬した遺体が歩き出し聖水を
振り掛けたら焼け爛れ、そのまま朽ちた者。
 そういった事例が多発したために村にある聖水や聖餅の数が少なくなり、村の教会の依
頼で効力が高いとされるヴァチカンの聖具を求め、教皇領ヴァチカンに滞在している三人
のヴァンパイアハンター一行はそう感じていた。
 一行はクリスマス前の巡礼でごった返しているヴァチカン郊外のカフェテラスの一角で
人々を観察しながらこれまで辿った旅路の感慨に耽っていた。
 と言っても故郷スコットランドから半月の強行軍で疲れていたせいか耽ると言うより、
とつとつと無駄話を繰っていただけだが。
 一口にヴァンパイアハンターと言っても、専業で行えるのは伝統的職業として認知され
ているギリシアとルーマニアの一部地域ぐらいで、それ以外の土地では何がしかの副業で
生計を立てている者が多い。

16 Awake 2話(2/162013/09/20() 05:04:22

このスコットランドから来た一行は故郷で観光客の護衛と道案内を副業としている。
 したがって、フランスを横断する際も、鉄道が敷設されていない場所からは、旅費と乗
合馬車乗車の権利獲得を兼ねて、護衛を引き受けながらヒッチハイクのような事をしてい
た。
 スコットランドと言えば、ヨーロッパ各地の戦場で見かける傭兵集団、ハイランド兵の
産地であるから、平民である彼らでも旅行中は各地の宿屋で護衛の依頼が引っ切り無しに
舞い込み、金銭に困る事無く旅路を行く事が出来たのである。
 そして、このカフェバーでダラダラと時間を潰しているのは、数少ない本国出身のエク
ソシストであるヴァチカン在住司祭に出発前、手紙を出して面会の約束を取り付け、返答
の書簡で司祭の使者をこの店で待つようにあったからだ。
 聖別物は直接取りに来るのがこの時代では当たり前である。それに大量に注文したため
、実際に用意できているかは分からない。
「うぅ……ん」 
 初めは糊付けされていたであろうシャツと茶色いジャケット、緑のリボンタイをグシャ
グシャにするほど、寝相を悪くしてテーブルにうつぶしていたネイサンが、度々耳に入る噂話
で起きると、目をこすりながら眠気が残る顔を上げて物憂げな表情でモーリスを見た。
「師匠、イングランドはおろかフランス、ここヴァチカンでも同じ様な例が多発していま
すね」
 モーリスは、聖書を読む手を止め、禿げ上がった頭を節くれ立った太い手で撫でながら、気
晴らしのつもりで自分が着ているオリーブ色のコートを綺麗に直しつつ答えた。

17 Awake 2話(3/162013/09/20() 05:07:10

「起きたか。うむ、護衛を申し付けても通常ならば訝しがって断る旅客もいるが、皆今回
は我先に護衛を付けようと躍起になっておったな」
7月にフランスでまた革命があったばかりだ、人々が現世に不安を感じるのは当然だろう」
 明朗で人を喰った様な声がした方向を見ると、シルクハットを取り、それをテーブルに
そっと置くヒューの姿があった。
 だが、どんなに厳とした立ち姿でも連日の疲れからか、目の下に隈が出来ている。
「ヒューか、何処に行っていた?」
「母国語が通じる宿屋にチェックインしてきた。大体、スコットランドやイングランドの
教会で聖別した聖水で事足りるのに、プロテスタント教区の者が国教会での聖別物は効か
ず、俺達の村にあるヴァチカンの聖水と聖餅が効いたと言うから与えたはいいが、いつも
ストックを確認しないから、急に入り用になったとき困るのだ……早く知り合いの司祭に
貰って帰るぞ」
ヒューは、自分も疲労困憊なのに、弱みを見せないと言わんばかりに強がって言うと、険の
強い顔をさらに歪ませ、時代にそぐわない長髪を掻き揚げて二人を見た。
そう言えば、自分達が持ってきた荷物が必要最低限のものしかここに無い。
 ヒューは昔から誰にも頼らず物事を進める傾向がある。
 ネイサンはそんなに疲れた顔をしているのなら、痩せ我慢せずに起して手伝わせてくれても
良いのに……そんなに俺が頼りにならないか?と思って、少しむくれたが、ヒューのほうは
自分がある程度さっさと済ませて落ち着きたい、と考えていただけである。

18 Awake 2話(4/162013/09/20() 05:08:11

 ネイサンが物思いに耽っている間、モーリスとヒューは会話を続けていた。
「ろう。……そうは言ってもな、これに似た前兆を儂は思い出して、少し逡巡していたの
だ」
「真祖、ドラキュラか」

――
真祖ドラキュラ。
ネイサンは少々背筋に寒気を覚え、生唾を飲み込んだ。そして目はテーブルに凝視して丸くな
り、表情を強張らせた。それを見たヒューは彼の正面を向いて、
「ネイサン、まさかヴァンパイアハンターとあろう者が、真祖の名を聞いただけで怖気付いた
のではあるまい?」
と軽口を叩きつつ微かに笑いながら彼の頭を小突くと、ネイサンは少々ムッとした。
「うるさい。兄弟子だからって言って良い事と悪い事があるだろう。やはり俺が聖鞭を継
承した事が気に入らないのか?」
「お前がどう取ろうと知った事ではない。俺は、お前の様子を見て感じたままを述べただ
けだ。もう、そんな問い掛けをするな!」
 ヒューはムッとし悲痛な面持ちでテーブルを拳で叩き、それから怒りをあらわにして踵を
返すと、給仕にコーヒーを頼むためカウンターの方へ向かった。
 ネイサンはヒューの矜持から来る不満の残る表情を一瞬見た。
彼は口にこそ出さないが、道中も含め暗にその様な表情を出すのでその度に苛立ち、徐々
にもどかしくなってつい、愚問をぶつけてしまった。そしていっそう惨めな気分に陥った。
 ネイサンはこのやりとりを周りに聞かれていないか心配で、キョロキョロと様子を見たが、
巡礼者で満杯のテラスは騒がしく、カトリック信徒のみならずグランドツアー中のプロテ
スタントの子息令嬢も混じって、ギュウギュウ詰めの店内でコーヒーの匂いとタバコの煙
を立たせながら、コーヒーカップを片手に議論し合ったり、恋の駆け引きを見苦しいくら
い大声で掻き立てていたから、彼らの問答はその状況にただただ呑まれていたに過ぎない。

19 Awake 2話(5/162013/09/20() 05:09:35

彼は恥ずかしさのあまり、頭を抱えてテーブルにうつ伏した。
 やり取りを静観していたモーリスはネイサンと、カウンターにいるヒューを無言で見た後ため息を
漏らし、再び聖書を読み始めた。
――
どうして、本音を言ってくれない? お前にとって俺は何だ? 親友ではないのか。
それとも……
 兄弟ではないといえ、十年同じ家で寝食を共にした仲だ、ちょっとした事でも解かり合
えると自負していたが、俺がハンターの称号を受け継いだ時からあいつは、俺に対して突
き放した様な態度をとった。
 知識でも武術でもヒューは常に俺や、他の家系のハンター、国教会一般信徒のエクソシスト
達にも追随を許さない実力を示してきた。
 それに、能力が上だからと言っても決して見下した態度は取らず、いつも親のいない俺
を気に掛けて、本当の兄弟のように接する度量の広い人間だった。
 だからこそ、オーストリアで真祖ドラキュラを倒した師匠、モーリス・ボールドウィンの後継者として
当然の位置にいたのに、何故か俺がヴァンパイアハンターの聖鞭ハンターのムチと、
後継者の称号を継承する事になったからだ。
 ヒューはいつも俺にとって師匠と同じく超える事の出来ない光のような存在だ。そして、
子供の頃から男の身でありながら情愛を抱いた相手だ。
 と言っても、決して許されず、永遠に報われない想いだが。
 この想いを秘めながら気付かれないように、敬愛する親友であり、兄弟子でもあるあい
つを支えて行く――その関係は永遠に続くものだと、ずっと思っていた。

20 Awake 2話(6/162013/09/20() 05:10:53

しかし、あいつは変わってしまった。
 人間、状況が一変すると、対処の方法を見誤れば歯車が狂ったように空回りするらしい。

俺がハンターの称号を受け継いだ次の日から、俺より早く起きるのに、就寝は俺より早い
事が無くなった。
起きている間は基本的なトレーニングをしている以外は書斎にこもって、思想書などを読
み漁っているようだった。
 そして、快活だったあいつの表情が段々険の強いものになって行き、常に寝不足でその
精神を表わすかのように気分屋になった。俺や師匠に直接何も言う事は無かったが、それ
でも狂気に満ちた表情と目付きをすることが度々あり、逆に俺達の不信を買っている。
 師匠であるモーリスが、実力のある実子のヒューより修行中一度も彼を負かしたことのない俺
を後継者に選んだ事で、俺に何を望んでいるのかは判らない。
 確実に判るのは、嗣業における嗣子継承を拒否されたヒューが、嗣子としてのプライドを
ズタズタにされながらも誰にも胸の内を明かさず、自分自身とその他の要因を狂ったよう
に探求し始めた姿が、今にも壊れて跡形も無くなりそうなくらい痛ましい事だ。
 そう思うと継承権を放棄すべきかと考えてしまうが、それは一番してはならない行為だ。
 それは両親が真祖ドラキュラに殺されて、孤児となった俺を育ててくれた師匠の意思を無駄
にする事だし、なによりも自尊心が高いヒューに対して過分な憐れみを懸けて、余計あいつ
の立場と感情を惨めにするものだ。
 だから俺は与えられた運命を、まっとうする事だけに全力を注ぐつもりでいる。
 例え、俺に対してあからさまにヒューが敵愾心を剥き出しても後悔はしない。
そう、これはあいつに対する恋情とは別問題だ。決して譲ったりしない。
 継承した聖鞭を使い、微力ながらも人々のために尽力する事が、今の俺に出来る最大の
使命だから。

21 Awake 2話(7/162013/09/20() 05:11:51

 ネイサンは長い回顧と決意に気を取り直してから、目の前の冷えたコーヒーを一気飲みし、
――
旨いが、ほろ苦い……だが、清濁合わせて生きる事はこの様な物なんだろう。
と眉間に皺を寄せ、飲み干したコーヒーカップの底を虚ろに見ながらそう思った。
すると、
――
バルヴィーノ(ボールドウィン)さん!
――
マウリッヅオ(モーリス)・バルヴィーノさんとその一行の方々はいらっしゃいますか!?
 カフェテラスにナポリ方言で叫ぶ甲高い少年の声が響いた。
三人は少年、いや見習い修士のいでたちをした、ヴァチカンからの使者の姿を確認し、
「ここだ!!」
 と片言の相手の方言で身振り手振りしながら大声で叫んだ。
 見習いはホッとした表情で、自分の胸の辺りに手を添えながらモーリスに柔らかな眼差しを
向けた。
「よかったぁ、言葉が通じない方々ならどうしようかと思いました。僕、イングランドの
人の言葉が話せないから……」 
「して、司祭は用意なさったのかな?」
 カフェテラスは、相変わらず満席で騒がしく大声で話さないと聴こえないほどだが、モー
リスは用心深く周りを見回すと、小声で本題を切り出した。
「はい、ですが、もっと大事な用があるとかで直接、教皇庁の司祭の書斎にお越し下さる
ように申し付かって参りました。外に馬車を待たせてありますので、お急ぎ下さい」
 通常、司祭は自室に外部の者をみだりに招いたりはしない。したがって、緊急事態だと
察した三人は言い様の無い不安を覚えて固唾を呑んだ。

22 Awake 2話(8/162013/09/20() 05:13:14

 教皇庁に着くと、スイス衛兵が訝しそうに三人を見た。それもそうだろう、一般信徒が
教皇庁の聖職者個人の書斎に訊ねて来る事などあまりないからだ。
 しかし、見習いが司祭の名を出すと衛兵は快く通行を許可してくれた。
「いいですか? お判りでしょうが僕の師匠である司祭と、貴方がたが同国人でも、ここ
からはラテン語以外の言語で会話する事は禁止されております。くれぐれもご注意を」
 見習いは歩きながら、あどけない表情をした顔の近くで念を押すように、人差し指を左
右に振ると、こましゃくれた科白を言った。
 そして司祭の個室まで来ると彼は扉をノックし来訪者の到着を告げ、司祭の許可が下り
ると扉を開けてから、三人が中に入るまでドアノブを持ったまま待機した後、扉を閉めて
もと来た道をしずしずと戻っていった。
 その部屋には書類と封蝋を開封した手紙がいくつか投げ出して置いてある、事務用と思
われる司祭の机の前に、質素な造りでありながら、よく磨かれた高品質のマホガニーの椅
子とサイドテーブル一組と、後ろの壁の方に随行員用の長椅子が用意してあり、淹れたて
であろう、温かい湯気が心地よく紅茶とミルクの匂いをさせていた。
「やぁ、モーリス。久しぶりだなぁ元気にしてたか? ヴァチカンで紅茶とは趣も何もあった
物ではないが、教皇庁ではコーヒーより紅茶が好まれるのでね。あ、勝手にくつろいでて
良いよ。見習いの言った事は気にしないでくれ、久し振りに母国語が聞けるのは嬉しいか
らね」
 司祭と思われるモーリスより年嵩に見える男性は来訪者を見ずに、軽食が揃えてあるティー
テーブルで三人分の紅茶を淹れながら、陽気な声の母国語で暗い面持ちをした三人を迎
え入れた。

23 Awake 2話(9/162013/09/20() 05:14:34

「有り難う御座います司祭、お久しぶりです。こちらはつつがなく暮らしております。し
て、聖別物以外での用事と伺いましたが?」
 モーリスはカップとソーサーを司教から渡されると、さっそく重い口調で訊ねた。司祭はそ
の様子を見て顔を歪ませて手を組み一瞬考え込むと、何か吹っ切れたかのように切り出し
た。
「では、早速言おう。オーストリアの修道院から昨日速達で知らせが入った。一ヶ月前か
らオーストリアで真祖ドラキュラの復活の儀式を行なっている者がいるそうだ。だから君達に
討伐を依頼したい」
――
やはりその事だったか!!
 三人は自分達の懸念が嫌な形で的中した事に、驚きの表情を隠せなかった。
「ヴァチカン総本部および、エクソシスト以外の職務の者は知らない。だから、ヴァチカ
ンは君達を支援する事は出来ないが、なけなしの私財から君達が本国に帰るまでの旅費の
一切を面倒見よう」
 司祭は断るなよ?と言わんばかりにモーリスの面前まで顔を近づけ、じっ、と真面目な顔を
して畳み掛けた。
 その言葉にモーリスはティーカップを持ったまま体を強張らせ司祭を見つめ、ネイサンは口にし
ていたスコーンを取り落とし、ヒューは司祭の表情を見ながら黙々とサンドウィッチを頬ば
り、次の科白を待っていた。
「しかし司祭、その、地元のハンターはどうしているのです? しかも司祭もエクソシス
トならばヴァチカンの教義として受け入れられないとは言え、秘密裏にオーストリア帝国
の正教のハンターに依頼すべきです」
 モーリスは地元のハンターを無視してまで討伐する理由を見出せず、この状況を異常だと思
い問い質した。

24 Awake 2話(10/162013/09/20() 05:15:31

「君も知っての通り、ヴァチカンだけでなく正統なローマ・カトリックのエクソシストと
ハンター達は、生者ならまだしも最後の審判の前に時を経た完全なる沈黙者の死者復活が
あったとしても主以外の者は手を下せないのだ。死人と認識しているからな。しかもロシ
ア領のシュナコブ寺院に侵入者が押し入り、首筋に吸血痕が残る修道士を使役して奴の遺
骨を強奪したとの情報も入っていてね。したがって復活の儀式を行ったのは、吸血鬼。と
いうことになる」
 司祭は苦笑いをし、教義に反する事実を述べるのに嫌気が差している様子で、ウンザリと
した表情で答えた。
「その上、正教のハンター達はほぼ全滅したそうだ。その前にギリシア独立戦争の際に吸
血鬼が多発して、そちらに引っ張られている者が未だに帰還できないほど、手が回らんら
しい」
「なっ……なんという……
 モーリスは呆然として空を仰ぎ十字を切った。となると自分達に白羽の矢が立ったのは当然
だろうと納得した。
「いや、そんな理由だけで君達に討伐を依頼してないよ。話は最後まで聞きなさい」
 司祭はきっぱりと言い放った。では、どういった理由だ。
10年前に封印した者に責めを負わせよ。と言うのがエクソシスト並びにハンター達の総
意だ。だから、君達の予定は強制的に変更してもらう。二時間後に出立してくれ」
「そんな無体な!」
 モーリスは、ヴァンパイアハンターとして真祖ドラキュラを討伐したいと思ってはいるが、それ
は村の依頼を放棄する事になる。

25 Awake 2話(11/162013/09/20() 05:16:14

 仮に輸送するといっても貴族でない自分達の荷物をどう扱われるかは目に見える、途中
で盗まれたら力の無い無辜の人々の命を見捨てる事になるだろう……
そう考えると今すぐには承服する旨を伝える訳にはいかない、と司祭に告げるため口を開
きかけた。
 するとヒューがその様子を見透かして立ち上がり、惰弱な。と思いつつ無表情ながらも目
を鋭く光らせ少々顔を紅潮させながら、しかし悲壮な決意を告げるかのように、すかさず
司祭にゆっくりと一言一句しっかりとした抑揚の無い口調で申し出た。
「我々に、討伐の依頼を受けさせて下さい。我等の力を示すために……
「ヒュー! 直ぐに結論を出せる問題ではないぞ!」
 モーリスは息子の名声を上げるためだけに発した返答に釘を刺そうと声を張り上げ、同時に
失望と怒りで両目を充血させ椅子から立ち上がって彼の正面まで歩み寄った。
 司祭はモーリスが私的な感情を以て人前で激昂する所など見たことがなかったので驚いたが、
彼がどう解決するか口を挟まずに見守った。

「何故解らぬ、ヒュー! お前が心と精神の均衡を己自身で御せるなら名声を求めても良い
だろう。だが、お前の胸の内は別のことに支配されているのに気付かんか! それをお前
が自身で突き止めない限り……
 モーリスは言葉をよどませ指を後ろで組み瞼を静かに閉じると、ヒューにとって最大の屈辱とも
取れる言葉を吐いた。
……ネイサンの足元にも及ばん」

26 Awake 2話(12/162013/09/20() 05:17:14

――人々の恐怖を取り除き、それを終えたと同時に闇の世界へ消え行くのがハンターの役
割であるのに、名声を求めるなぞもっての外だ。
自分の名誉しか考えが及ばぬ者に真に魔が狩れると思うのか? 魔は力で捻じ伏せる物で
はない。それは自分がよく知っている……
確かにネイサンの剣技はヒューより圧倒的に劣っている。
だが、彼は必要以上に感情を剥き出しにする事は無い。魔に利用されず対抗するには己の
弱点を見極め、謙虚な姿勢で事に当たること。
それが、人の住まう事の無いあの場所では力となる……

 モーリスの言わんとするところを解っていながら、ヒューは己の奥底に眠る感情を認めたくなか
った。
 キリスト者として、そして何よりも男として恥ずかしい感情を……だから、嗣業を拒否
された日より始まった研鑽の日々から導き出した答えは、名誉という盾で己の不明を覆い
隠し、目を背ける事であった。
 それが、彼にとって更なる悲劇と屈辱の始まりであろうとも、その考えを変える気はま
るで無かった……この時点では。
――
何故、何故俺が……ここまでの屈辱を味あわねばならん!ヴァンパイアハンターとし
て、当然の回答を行っただけではないか。それを親父は……やはり奴に篭絡されたか!  
 彼はそう思うと深遠の湖に突き落とされたかのごとく、手を水面に届かせようと伸ばして
も体が鉛みたいに沈んでいくような、徐々に冷たくなる心持がした。
――
嗣業継承を拒否された事で同業者から俺がどのような中傷を受けたか、知る由もあるま
い!

27 Awake 2話(13/162013/09/20() 05:18:15

(貰われっ子のネイサンに家督を奪われるなんて何をしたんだ? あいつ)
(
実力のある奴が継承できないって言うのは何かあったんだろうよ)
(
あいつ、俺達より出来るからってお高く留まっているから、今度の事で清々したのも事実
だけどな)
(
よっぽどの問題があったんじゃないか? じゃないとキリスト者としても嗣業継承者とし
ても普通は継がせないことなど無いのだから)
(
そうそう、嗣業継承を拒否されるってことは男として欠陥品だからな。嗣業継承の権利を
勝ち取るまで、貰われっ子のあいつと一つ屋根の下で生活しないといけないオマケ付きだし。
ははは)
(
宗教上の徒弟制度ってのはきついもんだね。実子であったのがあいつの不運だね。ま、
俺達も人の心配している暇があったらしっかりやらんとな!)
『貴様等。本人を目の前にして同じ言葉が言えるのなら、今ここで俺の相手をするか?』
(
ゲッ、ヒュー! 聞いてたのかよ……)

――
いつも尻拭いをしている連中から何故そんなことを言われるのか、全く判らない。
「親父。より強い力を求めて何が悪い。俺は親父のように仲間を己の力不足で死なせたく
は無い!」

 ヒューは悔しさで顔を紅潮させ、目を血走らせながら声を荒げ、己の正当性を訴えようとし
た。
――
そうだ。親父にもあの時、より強い力があったのならネイサンの両親をみすみす真祖の餌
食にすることもなかったろうし、何よりもネイサンが真に継承すべきハンターの証も失わずに
すんだ事で、俺がこの見苦しい感情を発露する事もなかっただろうに。
 それから目頭を熱くさせ、少し涙を溜めた悲しげな瞳を父親に向けると、モーリスはヒューを一
瞥し静かな声で諭した。

28 Awake 2話(14/162013/09/20() 05:18:56

「下らん。己の目的のためには他者すらも貶めるか。だからお前にハンターの称号を継が
せなかったのだ。己の言動をもう一度咀嚼するが良い」
 ヒューは自分の言動に何ら疑問を持っていなかったが、モーリスは「無私の感情」が彼の中に
全くといって良いほど育っていない事に、改めて自分の選択が正しかった事に安心と虚無
を感じた。
 そもそも、ヒューがそのような状態であるのに、モーリスがハンターのムチの継承を彼がその
精神を克服するまで待つつもりが無かったのは、ひとえに自分の体力が減退してきただけ
でなく、己の力を恃み、異能者とは言えただの人間が一人で魔性の者に立ち向かうという
愚挙を、己の息子が犯そうとしていることに気付いたからだ。
――
確かに、ネイサンや同業者に対して見下した態度を取っていない振りをしていたのは、単
に儂の歓心を得るための道具であり全ての者に慈しみを与えんといったキリスト者と
しての美徳を表しただけの物に過ぎん。
それも己の能力を継承者たらんとして恃み、それを自覚した上での行動であるのが余計目
に余る。
そのような心の内を叩き直し、ハンターである前にただの人間である事を自覚させるため
に、あえて嗣子継承の概念を無視したのだが……それが却ってヒュー自身の立ち位置を見失
う結果になるとは予想も付かなかった。
だが、ある意味これで良かったのかもしれない。己の心の研鑽を能力で覆い隠して見つめ
ていなかった事が、どれだけ危険な事か自ずと解かって来るだろう……
 モーリスは我が子の縋る様な眼差しを無言で見つめた。

29 Awake 2話(15/162013/09/20() 05:19:59

それから無言の状態が続き、といっても数分だが気まずい空気が辺りに満ちてきた。
 しかし、モーリス、ヒューはともかくとして、ネイサンと司祭は沈黙を破ろうと間合いを計っていた
が、ネイサンはヒューの震える姿を見ると、余りにも苦しそうな表情をしている彼を早くこの場
から連れ出したい衝動に駆られて、この状況を空気を読まずに壊そうと思って行動に出た。
「ヒュー、まだ話は終わっていない。気をしっかり持つんだ」
 ネイサンはヒューの体から伏せ目がちに少し視線を逸らして、右手でヒューの左肩を力強く掴むと、
父親を無言で見つめながら無表情で唇を引き締め、悲嘆に暮れて怒りで震えているヒュー
の肩を揺さぶった。
 彼の感情に気付きながら、だが無視する気で正気に戻そうとしたが、気が付いたヒューは
触れた彼の手を撥ね付けるかのように強く振り払った。
 ヒューは父親に認められなかった悔しさに苛まれて、もう目の前の青年をおとしめす事しか
考えられなくなると、その様子に黙って自分を見ている彼を尻目に、考え得る限りの侮蔑
をこめて、
「触るな!」
 と苦虫を噛み砕いたような苦渋の表情を彼に向け、強い口調で一蹴した。

 そして、その問答にキリが良いと判断した司祭は、モーリスの方を静かに向いて提案した。
「私がスコットランドへ赴こう。それならモーリス、君も心置きなくドラキュラを討伐できるだろ
う?」
 しかしモーリスはとんでもないと言わんばかりに固辞した。ヴァチカンにいるこの司祭は、
そこで政治的な職務に就いている者だから彼は躊躇したのだ。

30 Awake 2話(16/162013/09/20() 05:21:00

「司祭、貴方にはヴァチカンの職務があるはずです、それを放棄してまで……
「いや、特別な職務が無い司祭なぞ、このヴァチカンには掃いて捨てるほどいる。私は仮
にもエクソシストだ。それなりの責務を己の国で果たすのがいけないとでも?」
「ですが……
「くどい。それに、去年から連合王国全土で、カトリック信徒の職業解放が進められてい
るのに乗じて、今ヴァチカンは連合王国に対して、カトリックの布教を推し進めているん
だ。利権に敏い上層部の事だ、ちょっと言を弄すれば私も直ぐ出立できるよ」
 司祭は口角を上げてモーリスに微笑んだ。モーリスはそこまで言うのであればと観念して畏まっ
た表情になり、後ろの二人と共に司祭の前に跪くと、司祭は皺としみが浮き出ている手を
モーリスに差し出した。
 彼はその手を取ると恭しく甲に唇が触れない程度で口付けし、決意の眼差しに変わった
いかつい顔を上げ、力強くラテン語で承諾の意思を伝えた。
「承りました。我等の信仰に於ける力を以って……難に当たらん。真祖に~の鉄槌を與
(
あた)え、総ての事象に安息を齎(もたら)さん事を……アーメン」
 言い終わった後、三人は、いや、ヒューだけは心に狂乱の炎を滾らせながら神妙な顔で、
十字を切った。