Awake 10

 

 

117 Awake 10話(1/9)2013/10/09() 01:20:40

 月光を室内に取り込むための明かりとりが部屋を照らしているだけで、あとは初老の男
が精気の抜けた姿で祭壇の簡素な柱に縛られ、その下の床に構築された黒い魔法陣が青白
い仄かな光を放っているだけの部屋があった。
 そして、そこにはじっと禍々しい光を放つ紅玉の目で、柱を見つめているドラキュラが佇ん
でいた。
 真祖ドラキュラは不完全な復活をした場所から少し奥まった部屋で、モーリスを生贄として魔力
の増幅を図る儀式を行っていた。
 もっとも、ドラキュラは覚醒しているものの、未だに術者であるカーミラとデスから魔力を分け与
えられている状況に変化がなかったため、自らの手で魔力を増幅させられない苛立ちを覚
えていた。
「また、気絶したか。無理もない。一刻以上、我の魔力を増幅するために強制的に精力を
放出させたのだ、普通なら既に死んでいるがこ奴、体力は衰えても心と精神は一段と強固
な物になりおったわ」
 物言わぬ仇敵――覚醒と意識消失を繰り返しているモーリスを前に低い声色で微かに笑いな
がら、彼の命の灯をどうやって潰えさせようかとドラキュラは半ば喜びに心踊りながら対峙し
ていた。
 しかし、その一時の愉悦も彼の背後に赤黒い魔法陣を浮かび上がらせて出現したカーミラに
よってかき消された。

「うふふ……長い時間、仇敵を眺めていても面白くないでしょうから、退屈凌ぎになるも
のをお持ちしました」

「カーミラか。己の持ち場はどうした? それに何だ、これは? これはお前に与えた物だ。
散々甚振った挙句、残滓を捨てに来たのか? 無礼な。それならば己のフィールドに持ち
帰り、下僕の餌にすれば良い。不愉快だ」
「まさか。ただそれだけの者ならわざわざここへ運びませんわ」

118 Awake 10話(2/9)2013/10/09() 01:22:28

 地下水路で敵を待ち構えているはずのカーミラがドラキュラの元に現れた。
 それだけでも命令を遵守していないと彼は思ったが、それ以上に下僕に投げやったはず
の物の長髪を掴んで引きずって運んできたものだから不快感は一層濃いものになった。
「心配なさらなくても継承者はまだ、禍々しい古の死竜と死闘を繰り広げているところで
すわ。それにアドラメレクを倒し、鉄の障壁を破っても毒の川がある限りダンピールも人も簡単に
私の元へは来る事は出来ません」
 ドラキュラの忌々しげな視線を躱しながら、その場で床に叩きつけるように落としたヒューの
方へカーミラは視線を向け見つめた。
「ほう、己が下僕に投げやった人間に興味を持つとはどう言う心算だ。カーミラ」

……ご存知でしたか。ならば、話が早い。私が持っているこの部屋の鍵は唯一、この空
間に足を進める事が出来る物です。しかし、念を押しすぎると言うことはこの状況におい
てない筈です。すでに三人の術者のうち貴方に魔力を与えていたネクロマンサー様が倒され、その
手が屠った血糊を拭い去らないうちにデス様に向かいつつある。もし、あの方が食い止める
ことができなければ私の身とて危うい物となり、そうなれば鍵を持っている私を屠ったら
次は魔王……貴方のもとに駆け付けるでしょう。しかし、未だ完全なる復活を遂げられて
いない今、ここで聖鞭を振るわれたならば我等の宿願を果たす確率は低くなります。失礼
ながら断言出来るくらいに確実です」

 ゆっくりとだが説明をしながら消沈していく声色とともに、徐々に眉根をひそめ、焦り
とも諦めともつかぬ眼差しと歪んだ貌をするカーミラの様子に、優勢を誇り蠱惑の微笑を湛え
た彼女の面影は既に消え失せていた。
 同時に己の存在の消滅という予測が、チリチリと刺すような感覚となり悪寒を持って彼
女の全身を侵食していく。

119 Awake 10話(3/9)2013/10/09() 01:24:11

「つまり、可能性を高めるためにここへ打診しに来たと?」
「その通りです」

 ドラキュラは意識が消失しているモーリスと、気絶しているヒューを見比べて彼らの血縁と仲間意識
を鑑み、余興を思いつくと嬉しそうにカーミラに言い放った。
「よかろう。この者に鍵を守る番人となってもらおう」
「それは面白い趣向でございますわ。仲間同士、どのような貌で、どのような戦い方をす
るか見物ですわ」
「唯の人間が過ぎた力に心を呑み込まれず、独りあそこまで踏破して来るとは思わなんだ。
相手が人ならば人としての情に訴え惑わすのが最上。彼奴の感情と考えを増幅し利用させ
て貰う。そして共に朽ち果てるが良い」

 魔性二人はヒューを見て高らかに哄笑し、これからの展開に楽しみを覚えていた。
 気絶しているモーリスが血と汚れを纏っているヒューの姿を見たうえ、その内容を聞いたら絶望
と失望が入り混じった感情を持ってしまい、いとも容易く心の壁を崩壊させてしまったの
だろうが、気絶していた事でその不幸は防がれた。
 ともあれ、魔性二人もその効果に気付かないほど切羽詰まっていたものの、それなりに
手を打つ事は忘れていなかった。
「それと侯。私も全力を以って継承者と対峙する所存ですが、私が持っている術者の権限
をお渡しします。これで私が屠られたとしても貴方が消え失せる事は無いでしょう」

「あい解った。お前達の忠心に感謝する」
「ありがたき幸せ」
 カーミラは劣勢になりかけている状況に苛立ちを覚えているドラキュラが、そのせいで己に威圧
を与えるくらい重々しい感覚をぶつけがらも礼を言った事で、もう一人の侵入者を屠りつ
くし、必要とあれば、半死半生の状態で生贄として捧げようと誓った。

120 Awake 10話(4/9)2013/10/09() 01:25:00

 カーミラが儀式の間から地下水路に戻るために移動していた頃、古の死竜を倒し、新たなマ
ジックアイテムを手に入れたネイサンは、木箱が邪魔をして通れなかった凱旋通路を目指して
歩んでいた。
……はぁ、はぁ……かはっ、さすがに死ぬかと思った」
 口中が切れ、何度も腹部を突きあげられたせいで、移動するたびに咳込んで口角から血
が滲み吐血していた。
 今にも倒れそうなくらい痛めつけられていたが、それでも休まずに安全な場所で少し体
を癒すため、このエリアから一刻も早く脱出しようとしていた。足許がふらつき、壁にも
たれかかりながらの歩みだったが、襲ってくる敵に対してのみ攻撃しながら通過していた。
「今度こそ師匠のもとへ行けるための……助けるためのアイテムが手に入るといいけど

 やがて、エリアの外に通じる扉までたどり着くことができた。
「ここは……奈落階段」
――
そうか、地下回廊前のアイアンメイデンが破壊されていたから、階段中途にあった人
形も破壊されているかもしれない。
 そう結論付けると、ネイサンは新たな通路を探り出せる事に希望を持たずにはいられなかっ
た。
 だが、地下水路に辿りついたものの、扉を開けたと同時に腐った血液や腐食した匂いが
ネイサンの鼻腔を駆け巡った。
 その悪臭に一瞬にして気分が悪くなると、その場で床に蹲ってそのまま嘔吐した。
……酷い、酷過ぎる! こんなところにいたら瘴気で鼻と頭がおかしくなる! ここは
後回しだ」
 しばらくして嘔吐するための内容物がほとんどなくなったところで、ネイサンは口と鼻をハ
ンカチで抑えながら立ち上がり、地下水路から逃げるように駆けだした。

121 Awake 10話(5/9)2013/10/09() 01:27:29

「ウゥッ……
――
暗い。何と暗い。む? 風? 冷たい風。こちらへ向かってくる? それにこの破裂
音は何だ? あぁ拍手か? 拍手だと? 知覚出来ているという事は……俺は生きている
のか!?

「見事だった。カーミラやサキュバスの甘言や手管に堕ちず正気を保っていられるとは」

――
聞き覚えのある声。それに此処はどこだ? そして先程まで感じていた不快感と、身
体の痛みが殆どと言って良いほど消え失せている。
 靄が懸かっているように周りがぼやけて見えないが、徐々に蝋燭の明かりと悪魔崇拝者
が必ずと言っていいほど儀式に使用する悪魔の偶像、バフォメットの像が見えてきた。
「儀式の……間?」
 ヒューはまどろんだ眸だけで周りを見渡し、誰に言うわけでもなく掠れた声で小さく呟いた。
「その通りだ。そして我がお前を回復せしめた」
「ウッ!? 貴様は……! ドラキュラ!」
 眼前の人物を確認すると、眉間に皺を寄せて叫ぶや否やヒューは立ち上がろうとしたが、足
が縺れて尻餅を付いてしまった。
「そう無闇に身体を動かすでない。我の話を聞け」
 ドラキュラは血色の無い顔をヒューに向け、軽く微笑むと言を弄し始めた。
「その前に今までお前を苦痛に晒させていた事を謝ろう。しかしカーミラは哀れな女なのだ、
生前のあれは常に他者から心も身体も奪われ続け、故に得る事の無い純潔を求め続けたの
だ」
「それが如何した。俺の事には関係が無い筈だ。何故その話を此処でする? それに、こ
こはどこだ! 親父をどこにやった!?」

122 Awake 10話(6/9)2013/10/09() 01:29:57

 ヒューは訝しく思い強い口調でドラキュラの話を遮るとドラキュラは、彼を横目で見て己の話を続け
た。
「だが、魔性の者もハンターも穢れなき身体で我に挑んで来た者は居らぬ。何処かで他者
と身体で交わりその腐臭を撒きながら、我の前に恥かしげも無く様々な言葉で我を封印す
る口上を捲し立てていた」
「他者は知らん。俺は俺自身の信念で持って貞潔を保っていただけだ。貴様が言を弄しよ
うが聴く耳を持つと思っているのか?」
「お前は気を失って知らないと思うが、お前をここまで運んできた下級の魔物が何体お前
の体に触れようとして消失したか知っているか? お前の身体が為せる業だからこそだ」
「だが、俺はカーミラに負けて身体を弄ばれた」
「それはカーミラだからだ。百年以上掛けて純潔の血肉を喰らい続け、図らずともその力が身
に附いたのだろう」
――
どう見てもこれは弄言の類だろうが、この男は生前、ワラキア公だった時、巧言令色
を用いる者は平民であれ、臣下であれ許さなかったと言う。また、この男自身も幾度と無
く虜囚の身になっても敵に心から屈する事が無かったとも。
いや、死してなおその公正さが残っているとは信じがたいが。悪魔は事実と共に嘘を織り
込ませるのが得意だ。話半分に聞くのが上策だろう。

「それにだ、我はお前の様に力を持ち乍ら、周囲の者達に因って目的を達せられない者の
苦悩を知っている」
……
「ハンター以外には殆ど知られていない我の故国――ワラキア公国の歴史を知っている者
なら我がどの様な生を送って来たかは知っているであろう。我は幼き頃、あの忌まわしい
オスマンの虜囚と為った。我は力を持たずお前の様に力を得るまで時を待った」

123 Awake 10話(7/9)2013/10/09() 01:30:56

 ドラキュラが虚空に顔を向け遠くを見つめると一気に土埃の戦場が眼前に広がった。
ヒューはその情景に瞬時に身構えたが、彼のすぐ横でターバンを巻いたムスリム兵が、落馬し
た騎士と思しき豪壮な鎧を纏った者の首を蛮刀で刎ね飛ばし快哉をあげていた。
 首を断たれた肉体からは噴水のように血液が噴き上がったが、近くにいる彼の衣服に一
切付かなかった事から幻覚だと認識したものの、どうドラキュラが自分に対して手を打ってく
るか見極めるために言葉を挟まなかった。
「しかし、同じく虜囚と為った弟のラドゥ――奴は美男公などと綽名されていたが、その
実は後宮に入り浸った上おぞましい事に、己の身体を娼婦のように異教徒に委ねる背徳者
となり果てていた」
……
「其れだけでも非難されるべきであろうに恥知らずにも、故国に帰った我に対してオスマ
ンの手先となって刃を向けおった」
 場面が変わった。凄惨な戦場はノイズのような砂塵が辺りを覆い砂粒によって掻き消さ
れ、目の前に現れたのは無数の騎士を引き連れた馬上の美丈夫だった。
 だが、豪奢な鎧を身につけていても遠目からも解るくらい華奢な身体は、象牙細工のよ
うに脆そうだった。

……何が言いたいか、お前には解るな……? 目的も手段も選ばず実を手に入れた人間
に自由など無いのだ」
――
ネイサンの事を言いたいのか。状況は似ているかもしれないが少なくとも現在の奴は自分
の身を守れるくらいの力はある。詭弁に惑わされるな。

「そうであろう? ラドゥが勝ち得た我が領土は結局オスマンの領土と為り、弟弟子とて
お前を打ち倒した上で勝ち得た名誉と実では有るまい」
……与えられた実と名誉ということか?」
――
しまった! 精神の楔を取り除いていない状態で不確定な事象を肯定する声を漏らし
てしまった。撥ね退けなければ。

124 Awake 10話(8/9)2013/10/09() 01:31:39

ヒューはこれ以上の対話を拒絶するため、心を閉ざしドラキュラと対峙することを決めた。
「実力の無い者が実を取れると言う事は何を意味するか。卑怯な手段で手に入れたのに相
違あるまい。お前の想像通りだ」
「黙れ!」
「ではそ奴がお前におぞましい肉欲を振り撒いていたのに、急に止んだのはどう言う事だ?」
――
知るか! 奴から直接聞いて無いのに推察する道理も無い。何とかして状況を打開し
ない事には活路を見いだせない。詭弁は全て撥ね退けてやる。
「我はお前の身も心も自由だと言うのに、つまらない対抗心で小人に怒りを向けている事
が哀れで為らんのだ。哀れと云うのはお前の自尊心を傷付けるな。為らば単刀直入に言お
――力を貸してやる」
「は!? 敵である貴様が俺の体を回復したのも腑に落ちないというのに、力まで与える
だと!? 酔狂も大概にしろ!」
「だが今は吼たえてもお前は我に勝てぬ。そうであろう?」
――
痛い所を突いてくれる。
「それに力は与えるとは云うて居らぬ。貸すとは云うたが」
 ドラキュラと問答している間に徐々にヒューの目は薄暗い蝋燭の光に慣れ、上方を見ると駒が控
えている青白い扉を発見した。
――
扉! あの上の扉に親父が居るんじゃないか? 一か八かだが奴を倒すのではなく勢
いで突破して扉にたどり着いてやる。それから態勢を立て直して再度突撃する。
「これ以上御託を並べるな! 俺はそのような甘言を受け入れるほど堕ちてはいない! 
死ねぇえーっ!」
 
 この状況で足掻いても仕方ないが、何もしないよりはましだと思い、彼は拳を握り剋目
して掌に聖属性の小さな魔方陣を発現させると、そのままドラキュラに突撃した。
 もちろん力任せに打倒する気は毛頭なく、モーリスを奪還するために即席でもドラキュラの攻撃
を躱すための防御壁を身に纏い、ドラキュラに接触する寸前で軌道を変えながらすり抜け、青
白い扉に向かって壁を駆けあがると指先に扉が触れた。

125 Awake 10話(9/9)2013/10/09() 01:32:44

 だが、扉が開ききる前にヒューの背後にドラキュラが迫り、彼の首に腕を回すとそのまま締めあ
げた。
……なっ?」
「痴れ者が」
「ぐぁっ……!」
「他者を利用する事を受容れられぬ其の無意味な自尊心程、度し難い愚かさは無い。我に
刃を向けた事は万死に値するが、人としての稜線を保って居る事は賞賛に値する」
「稜線? 何を……言ってやがる……?」
 ヒューは首を絞め上げられながらも、ドラキュラが自分を軽く褒めたことになぜそう言ったのか
意味が解らず、なんとか思考をまとめようと首に巻き付いた腕を剥ごうと必死にもがいた
が、
……気に入った」
「あ?」
「人としての稜線を保ったまま我の手足と為れ」
「ふざけた事をっ……! グファッ!」
「またぞろ敵意を向けられたら堪らんから、少しの間眠って貰う。血など吸わぬ。其の様
な事をしたら幾ら人としてあの弟弟子より膂力が有ったとしても、聖鞭が掠っただけで塵
に還ってしまう。そうなっては困るのだ」
 より強い力で彼の首を潰すかのように圧迫すると、すぐに酸欠状態になったヒューの意識は
消失した。ドラキュラはそれを確認すると目の粗い床に叩きつけ、痙攣している様を見下ろし
ていた。
「カーミラにくれてやると言った手前、興味などなかったが、共食いする様を見るのもまた楽
しかろう」
 やがて、四肢が弛緩し仰向けに倒れ込んで白目をむいたヒューの苦悶の表情を見つめると、
ドラキュラは床に赤黒い魔方陣を一瞬にして出現させた。