Awake 11

 

 

126 Awake 11話(1/8)2013/10/09() 23:03:51

――俺は強い。強くあるべきだ。何故なら俺は聖鞭の継承者たる家系に生まれ、貴族でな
いにしろそれなりの羨望と賞賛を勝ち得てきた家系の嗣子だからだ。
その証左に常に他者に対して圧倒的な力を示し、誰も俺の指揮や攻撃方法に適う者はいな
かった。
なのに……あの臆病者! 俺が物心ついた頃からずっと普通の子供達が遊んでいる時間さ
えも削り鍛錬に励み、夜には常に知識を求めた努力さえ踏み躙って後継者の地位に収まろ
うとは! 
確かに、俺より力と統率力は劣るものの他の連中と組んだ時より滞りなく、俺の望む方法
で敵を撃破させられる事で唯一俺の好敵手として認めているが、ただそれだけだ。
事実、補佐しかしたことが無いのに聖鞭を継承した奴は、指揮系統の手順は違えるわ、己
が止めを刺すべき所を見誤るわで全く役に立たなくなった。
所詮、補助に徹していた人間は上に立つことなど出来ないのだ。
「その通りだ。生まれながらの将器を持った者こそが人の上に立ち、総てを差配する事が
可能だ」
「誰……だ? その……声は?」
 ヒューは聞いた事があるような威厳のある声の主を、自分の記憶を手繰り寄せるかのように
思いだそうとした。
――
死んだ祖父か……。いや、それよりもここはどこだ? 窓が開いている。
窓の傍に立っているのはネイサンか……朝日は眩しいが風が心地いい。
今、見慣れたベッドに潜り込んで寝ている……ここは故郷の我が家だ。
そうか、これは真祖が見せる幻覚か、幻覚など見ている暇はない! 起きろ! 目を覚ま
せ! また、いつもの様にこちらへ歩いてくる……朝から俺をからかうのか? 夢の中ま
でこんな光景が再現されるのはいい気がしない。

127 Awake 11話(2/8)2013/10/09() 23:06:28

――お前が求めている相手の依代にするなと、毎日、毎日言いたかった。
今なら言える、これ以上、人を勘違いさせるような行為で惑わせないでくれと、悲しそう
な目で俺を見ないでくれと。
「頼むから、止めてくれ。お前は一体俺に何を求めているんだ?」
 だが、起き上がり、懇願する心持で勇気を振り絞ってネイサンに問いかけたものの、彼はヒュ
ーを気にする事なく通り過ぎて部屋から出ていった。
「幻覚の中だから俺の存在や意識とは関わりなく時間が過ぎて行っているのだな。馬鹿馬
鹿しい、こんな意識の中からとっとと出て行きたい」
 一人残され、彼は力なく呟くと状況の解決のためにネイサンを追う事にした。
 徒弟用の屋根裏部屋から一階の食堂に降りると、ネイサンとモーリスが深刻な面持ちで会話して
いた。
「おはようございます師匠。ヒューはまた書斎にいるのですか」
「うむ、内面を見つめるのは構わん。だが、己を全て否定した訳でもないのに焦燥感が漂
うあの顔は何だ? やはりお前に聖鞭を渡したのは正しかったと見える」
「そんな事を仰らないで下さい。誰だって自分が後継者たる素質を持って周りからも認め
られていたのに、格下の人間が継承したら心が塞がれます」
「だから駄目なのだ。状況は刻々と変化する。戦況の変化を感知できても己の存在を不変
だと思っていたら何時かは足元を掬われる。無論それはお前にも言える事だ」
 ヒューは会話の内容を見た事はないものの、いつも考えたくないが妄想してしまう内容を見
せつけられて改めて嫌悪を催した。
「そんな事は言われずとも分かっている。俺が焦っていたのは聖鞭を持っていたのにもか
かわらず何度も死にかけていた奴と俺との差を確かめたかっただけだ」

128 Awake 11話(3/8)2013/10/09() 23:08:01

――そうか、この時の俺は奴との接触を避けるためにいつもより早く起きるようになった
頃か。だからベッド上に俺の存在は無かった訳だ。
 考えを巡らせている間に、今度は自分が最も嫌悪に思い忌避しても、なおもちらつく光
景が現れた。
……師匠」
「師匠ではなく、昔のように呼んでくれ」
 ネイサンが口を開き、自分に向けるような悲しげで蕩けるような眼差しを父親に投げかけた
時、ヒューは状況に耐えきれず大声を出してから頭を抱えて、全ての事象を否定するために耳
目を塞ぐような心境で目を強く瞑った。
 しばらくして声も存在も感知できなくなったところで瞼を開くと視界が暗闇に包まれ、
自分の体だけがその場にあった。
「窺い知れない物事を弄するのは止めろ! 嫌だ! これ以上見せないでくれ! そんな
おぞましい光景など……

「だが、お前に向けられた行為は即ち、他者に視点を移せばお前自身が耐えられずに声を
荒げてしまうほどの憎むべき愛情なのだ。しかし摂理に合わぬ情を受けていたのにも関わ
らずお前が拒否出来なかったのは、奴の与えるアヘンの如き甘き毒のような快楽に引き擦
り込まれて思考を奪われたからではないのか?」

 暗闇の中からドラキュラの声が木魂した。どの方向に居るのか感知できないのにヒューは苛立ち、
姿を確かめるように声を張り上げた。
「嘘を抜かすな! 俺は一度もあらゆる肉体の快楽の虜になった覚えは無い!」

「人は肉体だけで快感を得るのではない。行動と行為によってほとんどの人間は快楽を受
けた事を知覚するのだ。お前は気付かぬうちに奴の行為を受け入れる事で他人から存在を
求められていると言う快感を享受していたのではないのか?」

「黙れ!」

129 Awake 11話(4/8)2013/10/09() 23:09:03

 一気に嚇怒したと同時に羞恥が込み上げてきたヒューの心の鼓動は激しく高鳴った。
 明確な拒絶を示さなかった自分の心境は、表層では否定していても暗にネイサンを受け入れ
ていたからからでは無かっただろうか? 
 薄眼でしか確認しようがないが、他人には見せない彼の切ない眼差しと、互いに頑強な
肉体を有しているのに潰れやすい水蜜桃を食むかのように、柔らかく己の頬と唇を求めた
姿と想いの儚さが去来すると、モーリスに対して叶わぬ想いを抱くネイサンの行為を受け入れてき
た自分の心の在りかは、孤独の中に佇んでいたのにようやく気づいた。

 打倒すべき敵にそれを指摘され、揺れ動く己の心の危うさに対峙するための気力を削が
れて感情を顕わにしたが、それは己が知識として体得していた「悪魔と対話すべからず」
という原則を忘れるほどの動揺だった。
「貴様、御託を並べ嫌悪を催させて奴との殺し合い望んでいるのは解っているぞ。浅墓な」
「あの男もお前のように面白みのある奴であれば良かったのに」
 からかうように言葉を淀ませ口許を歪めたドラキュラの皮肉に、ヒューは自分の感情よりモーリスの
安否に一抹の不安を覚え口にした。
「親父……親父をどうした!? 答えろ!」
「生贄の生死なぞ関知しておらぬわ。身体は儀式の間にあるがうんともすんとも云わぬ。
ただ魔力が未だに感知出来るから生きてはいるのだろう。大した物だ」
「な……生殺しの状態にあるわけか。非道な。放せ! やはり死力を尽くして貴様を倒す!」
――
この空間が俺の精神なら意識は俺のものだ。少なくとも剣を構築できるだろう。
術者の幻影を振り払えれば意識は俺の手に戻るはずだ。

130 Awake 11話(5/8)2013/10/09() 23:09:42

 その予測通り聖剣がヒューの手元に構築された。それから聖剣と己の魔力を用いて大剣を作
り出し光が発現したと同時に空間から闇が消滅してドラキュラの姿が現れた。
 すかさずその方向に剣を向けドラキュラを両断しようと瞬時に構えたが、振り下ろした剣身
を片手で容易く止められた揚句に圧し切ろうとより一層力を込めても、ドラキュラは涼しい顔
をして軽く剣身を弾くと、その衝撃でヒューは吹き飛ばされ床に叩きつけられた。

「う……
「縋る対象の喪失を懼れた故の身勝手な憐憫に流され自身を見失ったか。人の愛とは業の
深い物だ。仮令その本人を大切に想う事を知らず、ただ縋るだけの身勝手な愛でもな。膂
力の差を弁えず闇雲に刃向かうは矢張り下賎の者よ!」
「何! 貴様、今何と言った!?」

「お前があの光景を見て嫌悪を感じたのは、人倫に悖る行為と捉えただけでは在るまい。
愛を無限に与える二人が己に見向きもせず、互いに愛を語らう事で一人にされるのが怖い
のであろう! 人を信用せぬ癖に、人の感情を貪って己の存在の立脚点としている浅まし
い小人が!」

「黙れ! これ以上妄言を吐いても陥落などせんぞ」
――
認めたくない! 認めてたまるか!

「妄言か……ならば何故、己の論を言い立てず言葉を切るように吼たえておるのだ? そ
うだ、いい事を教えてやろう。お前の精神はすでに我が手中に収められている。心の中で
這いずり回り、抗っても何の意味も為さんのだ。その証拠に」

131 Awake 11話(6/8)2013/10/09() 23:11:32

 床に叩きつけられた痛みで座り込んだまま動けないヒューの体は、ドラキュラに一瞥されただけ
で両手の肉が瞬時に融けるように崩れ落ち止め処なく血が流れ出た。

「馬鹿な……痛みを全く感じない。ではこの空間は、この体は、俺の精神であっても貴様
の支配下にあるのか……畜生っ、止めろ、精神が崩壊したら魂のない器になってしまう」

「確かに人ではなくなるな、それもいかなる様態もこなせる肉体に構築できる。例えばそ
うだな……
 ドラキュラは指を鳴らしヒューの肉体の崩壊を止め一気に肉体を再構築した。だが、服装は変わ
らないものの少し丸みを帯びた女そのものだった。
 彼は女体に戻りかけたサキュバスを思い出し全身に怖気が走ったが、ドラキュラは表情を崩さず
ヒューの視線の先へ瞬時に移動すると、己の目を彼の眼と合わせ眼球を見開いた。
 一瞬にして眼光を浴びた彼は咄嗟の事で対抗できず、防御の呪文を詠唱したものの防護
壁の構築が間に合わなかったため、精神の奥にまで呪文を具現化した黒い膜を纏ったドラキ
ュラの侵入を許してしまった。
 接触した直後に刺すような痛みがヒューの全身を駆け巡り、呪詛が体中の皮膚を赤黒く盛り
上げながら刻まれていった。
「しっ……しまった!」
「目覚めよ! 同情と憐憫を用いて人の心に入り込む卑劣な背徳者を消し正道を貫くのだ。
その責はお前のような貞潔な人間にしか出来ぬ仕事なのだから」
 その瞬間、閃光とともに引き込まれるような空間の歪みによって、ヒューの体はもとあった
場所から引きずり出された感覚に襲われた。

132 Awake 11話(7/8)2013/10/09() 23:12:14

「ここはどこだ……?」
 瞬時にして誘導された場所を見渡すと、そこには深紅の絨毯、一つの玉座、月輪の全体
が見える壁の様な広く大きなガラス窓があった。

 ヒューは自分の体を触ってみると、胸の脹らみや腰から骨盤にかけての扇情的な括れと、な
だらかな腰つきは消え、馴染みのある自分自身の体そのものだった事に安心したが、逆に
何もない事に焦って聖剣の剣身をまじまじと見つめ、細かい変化を見逃さないよう確認し
ていた。
 何度見ても眼の色はいつもと変わらない漆黒を湛え、犬歯が鋭利な形に変化したことも
認められなかった。
 ここはどこなのかと確認するために体を起こし立ち上がり、すぐに探索を始めた。
 だが、調べるまでもなく壁一面に広がるガラス窓から満月と対面する尖塔が見え、己の
現在地を然りと認識した。

「尖塔の屋根が同じ目線にあると言う事は……城の最上部、展望閣か。何故ここに俺は居
る?」

 状況が飲み込めず辺りを見回したが、自分の周りに敵どころか生き物の息遣いは感じら
れなかった。
 また自分が受けた傷はすっかり消え、むしろ力が漲っている様子だった。体も本来の自
分の姿のままだった。
 が、誰も居ないのが少々不安になってきたのか誰かに問いかけるように独り言をつぶや
き始めた。

133 Awake 11話(8/8)2013/10/09() 23:12:52

「ドラキュラに捕まったのは幻覚だったのだろうか?」
――
いや、背中は微かに痛みを感じている。それなのに傷が塞がり、体が満足に動くよう
だ。
「力を与えられたと言うのか。だが」
――
フン……気のせいか。生きているのならさっさとここから出て儀式の間の鍵を奪取し
てからドラキュラと対峙しないと……
 ふと見ると自分の目の前にもう一つカーミラが居たフロアと同じく青白い扉があった。出口
だと思い扉に触れると出口ではなく行き止まりの空間が現れた。
「鍵? これは……
――
儀式の間の鍵か? 何故こんな所に。
 ケルト文様の台座の上に鎮座していたのは、魔力が微かながらも放出している黄金色の
複雑な形をした鍵だった。ヒューはその複雑な形状と掌に収まるか収まらないほどの大きさを
見て一瞬で判断した。
 だが鍵に触れた途端、どこかで聞いた事のあるような声が自分の耳元に木魂した。
――
「目覚めよ! 同情と憐憫を用いて人の心に入り込む卑劣な背徳者を消し正道を貫く
のだ。その責はお前のような貞潔な人間にしか出来ぬ仕事なのだから」
 その文言に頭を揺さぶられ一気に何かを屠りつくしたい衝動に駆られた。
「そう言えば……ネイサンはどこにいる? 真祖は俺を弄する時に奴の死を言わなかったな。
となれば奴は生きている。そうだ、聖鞭でなければ真祖は倒せない。だが奴がいる限り籠
絡された親父が奴にまた渡すのは目に見えている。ならば奴をこの世から消し去るのが俺
の望み」
 自分の妄執と催眠術によって偽りの記憶と想いを植え付けられたヒューの心は、ついに殺戮
の炎を点してしまった。