Awake 13話
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:Awake 13話(1/15):2013/10/14(月) 00:17:20
全て己の足で踏破出来る所を廻った。もう奈落階段の中途しか道が残されていない。
だが、薄暗く濁った水脈が前に来た時と同様、有機物が腐敗した臭いと血に似た臭いが混
ざった悪臭をところ余さず放っていた。
ネイサンは無意識に掌で口と鼻を覆い、悪臭が漂っているこの場所に嫌悪した。
――このマジックアイテムが毒の水を浄化するとは思えないけど、賭けてみるしかないだ
ろう。
冷やかな青が薄暗い空間の中でも燦然と輝いているネックレスを、彼は不安な面持ちで
見つめてから、それから勢いよく毒の川に飛び込んだ。
「!? そんな……」
見る見るうちに血に似た色と腐食した臭いが瞬く間に消散し、目で確認できる辺りを過
ぎても澄んだ水の流れが広がっていた。
――これで判った。侵入者はすべて生贄としてこの城に誘われている。
俺の戦いに対する目標は、己の身を守るくらいの力を持って他人を補佐し、皆と勝利を分
かち合う事だった。だけど、仲間に勝ちうる力を持ちたいと願った事がないかと言えば嘘
になる。
それを自らの身体能力で補うのではなく、マジックアイテムを用いる事に躊躇が薄れ始め
ている。
ネイサンは自問自答することで、独りよがりな結論を出す事に躊躇を覚えながらも、魔性の
問い掛けに口頭では問答する気は無く、心が読みとられた場合、仮の防護壁を築く事で精
神に楔を挟みこまれないようにした。
ともあれ腐食の空間から薄暗いまでも、滾々と清浄な空気を湛えた場に変化した場所を
突き進むことにした。
入ってから気づいたが、この地下水道は生温かい城内の中で一気に体を冷やすくらい冷
気が張りつめている。
142
:Awake 13話(2/15):2013/10/14(月) 00:18:24
「他の場所より無駄に体力を消耗したら、恐らく生きては帰られないだろう」
白い息を吐きながら、投擲されたものに接触しないよう遮蔽物になる壁と場所を見つけ
つつ、通行に邪魔な敵を一体ずつ排除していった。
中途に金属の滑車と歯車が内蔵している物体が見えた。よく見ると同じ物体でも階段状
になっているものと、鉄塔のように横に真っ直ぐな状態で壁に設置してあるものがあった。
歯車の接続部分とその下をよく見ると、寒さで固まった潤滑油の塊が茶色く接続部分に
こびり付き、そこから小さな滓が上からぽろぽろと落ちてきた。
滓が現在も落ち続けているという事は、自分が進入する前に誰かが――この状況におい
てはヒューぐらいなものだろうか? 彼が動かしたのだろうと思うと、彼に近づいた心持にな
り凍て付く寒さから一転して温かい希望がわいてきた。
ネイサンが地下水道に侵入し敵を屠りながら突き進んでいるのを察知したカーミラは、地下水道
の落窪の広場で敵が侵入してくる青白い扉を見上げ、諦念とも血の高揚ともつかない奇妙
な感情を覚えていた。
「……また、倒されるのか。主の魔力が蓄積したと同時に復活し続けるこの身が」
――何度も生かされ、何度も傷めつけられ、何度もたった一人で暗闇に閉じ込められ、魂
の救済すら受けられないこの身の所在に、あるときは嘆き、あるときは残虐に他者を屠る
快楽に身震いしながら恍惚となり、今度は……
「己の消滅に対しては何の感慨もない。流石にここまで絡みついた宿命に対して最早、感
情を沸き立たせる事さえ億劫だ。ただ戦い、相手を屠り、逆に屠られればそれで終わりだ」
そう逡巡したあと、今度は己の消滅よりも己と対峙する者に対し、カーミラは満たされない
想いに怒りとそれを屠る喜びを沸き立たせた。
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:Awake 13話(3/15):2013/10/14(月) 00:22:53
「だが、正道を以って私と対峙する者の浅ましさは、何度見ても唾棄すべきものだ。今度
の獲物は少々ましだが、大望を持つでもなく小さな幸せをかき集めて自分のものにしたい
と願う貪欲さ……私には望んでも得る事の出来ない、他人との関係を紡ぎたいと願う腹立
たしい欲望。どんな大望よりも、ただある当たり前の幸せを護りたいと思うその心が私を
苛立たせる……それなら己の欲望にのまれて、潰えるがよい」
そう言うとカーミラは静かに目をつむり、己の魔力を解き放って幻覚の結界を展開した。
魔力を放出され、ただでさえ凍てつく空気に、ネイサンは己を屠ろうとあらゆる方法で攻撃
してくる敵を避けながら息を上げるくらい必死に駆けているものの、纏わりつく瘴気のよ
うな魔力によって深淵に近づくにつれ幻が見えてきた。
「……? 誰かいるのか?」
敵を察知するために気を張っていたネイサンは少々、周りに対して敏感になっていた。
その虚をカーミラが突き、己のフィールドに侵入してきた獲物をいたぶるための罠に彼は絡
め取られたのである。
「幻を追いかけるがいい」
カーミラは己がボロ布のように散々いたぶり、真祖に投げやったヒューの姿を遮蔽物に隠れてい
た魔物の表層に一時的に固着させた。
先程まで血と汗に塗れて重く汚れた姿とはうって変わって、黒い鴻毛の如き長髪をたな
びかせて走るヒューの後ろ姿をネイサンは確認すると、再び自分より先にこのエリアに侵入してい
たと思い、今度こそ説得し、共闘するために呼びかけた。
だが、聞こえないのか、そのまま走り去り、いつしか消えてしまった。
「待ってくれ! どうして何も言ってくれないんだ! 応えてくれ!」
見失った事に落胆しつつも息せきかけて辿り着いた場所を確認して、ようやく走り去っ
たのは幻影だと理解した。
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:Awake 13話(4/15):2013/10/14(月) 00:23:41
遮蔽物のない水路の中途で質量を持った人間は消えない。厳しい寒さの中で邂逅した事
で状況判断ができなくなっているのに嫌でも気づかされた。
「……しっかりしなきゃ」
そう言いながら歯の根が合わないくらい震えていたが、無駄な攻撃を受けて死なないよ
う敵の攻撃を躱しつつ、ネイサンはこの城のどこにあるのか分からない安全な空間を探し求め
た。
しばらくすると、また幻覚が見えてきた。
今度は捕えられたはずのモーリスが物陰から姿を現し、無言でネイサンを詰るように険しい顔で
見ていたが、瞬時に消え失せた。
先ほど、ヒューを求めて大声を出した事を思い出し、幻覚だと解っていてもモーリスに対する罪
悪感と恥ずかしさのあまり赤面したが、すぐに冷や水を浴びせられたかのように心根が消
沈した。
その様をカーミラは意地の悪い笑みを湛え「惑え、惑え」と楽しげに見て、自分の元に来た
時はどのような情景を見せて羞恥に悶え、絶望させるかを考えた。
「このままでも幻視に惑わされ手下に倒される事は必至だが、あの手駒のように精神に楔
を打ち込んでやる。用心に越したことは無い……何っ! 入り込めないだと!?」
彼女は手を翳し、心眼を用いてネイサンの記憶と思考が絡まった表層から精神の手綱を掴も
うとしたが、寸前で白い結界が張り巡らされていたため、その手は痺れる痛みを以って弾
かれた。
「聖鞭が強固な結界を張っているのか……忌々しい! 奴の精神が霧に覆われたように見
えない。ならばもっと惑い、狂うがいい」
カーミラが苦々しい顔で罵った時、ちょうどネイサンが通過している場所にて、人を惑わすセイレー
ンが飛び交っていた。
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:Awake 13話(5/15):2013/10/14(月) 00:26:02
セイレーンの発する声を聞いた者は幻視と幻聴に惑わされ海中に引きずり込まれるという。
この城に巣食うセイレーンもまた簡単に海中に引きずり込ませるくらいの力を持っていたが、カ
ーミラはその能力に確かな質量を持った幻視を見せる力を付与した。
言葉と能力を与えられたセイレーンは歓喜するように、カーミラが命じたターゲットに向かい一斉
に群がると悲鳴のような鳴き声を上げながらネイサンの心に侵入してきたものの、瞬時にネイサン
の下から離れ、彼の攻撃の範囲外まで退避すると、その場で円を描くように飛び回った。
――オ前の心ヲ探シテイル。オ前ヲ求メテ浅マシイ姿デ
――カワイソウ。オ前ニ助ケテモライタイノニ、声ヲアゲラレナイナンテ本当ニカワイソ
ウ。
セイレーンがネイサンの心の表層に語りかけている隙に、フローズンシェイドが氷弾を放ち追尾してきた。
逃げ回りながら鋭利な羽根に追尾機能を持たせて武器にしているセイレーンとは違い、本体は
その場から動かないので楽に掃討できたが、進もうとしたと同時にセイレーンがまたネイサンを急襲
して来たため、今度は体勢が取れず交互に繰り出される遠隔攻撃と直接攻撃を躱すのに必
死になり、やがて誘導されるようにネイサンは壁際に押しやられた。
しばらくの間、激しい波状攻撃による羽搏きでネイサンは視界を遮られたが、羽の隙間から
ヒューの幻が見えた。
セイレーンはネイサンがヒューの姿を知覚できたのを確認すると、再び手が届かない範囲に逃げて効
力が切れないように、その近くで飛び交い始めた。
「なんでまた、お前がここに……」
共闘を呼び掛けてもヒューが何度も撥ね退けた事は嫌でも覚えている。そんな彼がこの期に
おいて自分に対して態度を軟化させるとは信じがたいし、間違いなく魔性が見せる幻とは
理解している。
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:Awake 13話(6/15):2013/10/14(月) 00:27:42
それでも礼拝堂で見た彼の危うさを心配し、なおかつ自分が存在と心を渇望している彼
の姿に、疲弊した心身は甘き妄執に目を向けないではいられなかった。
その上、衣擦れの音や、質量のある鉄靴の音を響かせながらネイサンに歩み寄って来た事で
正常な判断ができなくなった。
――幻のように姿は揺らめいていない。それに、幻覚だとしてもこんな質量を持った幻覚
なんてあるのだろうか? もしかしたら操られているのか? 俺を絡め取るつもりなのか?
だけど本物ならむやみに攻撃できない!
ネイサンは彼に声をかけ、どう反応するのか確かめようとしたが、口を開く前に真剣な眼差
しでヒューがゆっくりと彼の方に寄ってきたので鼓動が高鳴り、硬直した。
やがて、動けない体を強く抱きしめられると、絡みつくように体を重ねてられて、立っ
たまま壁に押し倒された。罠と分かって試していても切ない欲動を感じ、天を見上げるよ
うに頭を静かに上げながら目を閉じて深く嘆息した。
だが、深く唇を重ねようと迫ってきた時に、ネイサンの目は完全に覚めた。
――人の匂いがしない! やっぱり幻覚だ! 現実を思い出せ、俺の姿を見てヒューはこの城
で嫌悪を顕にしていたじゃないか。辛くとも、いろんな状況が俺を救ってくれる。幻想な
んて捨ててやる!
「これは俺だけの感情だ。あいつの心と体は俺を許していない! 消え失せろ!」
吼え、幻視を強く押し退けてセイレーンのもとまで近づくと、飛び回って逃げ惑う怪鳥を一体
ずつ始末したと同時に幻は瞬時に消え失せたが、自分でも叶わぬ想いである事象が目の前
に現れたことで、否応なくヒューに対する感情に虚しさを覚えてしまった。
幸いにも聖鞭の力で己の精神が操られないことに安堵を感じつつ、自分勝手な欲動に指
向している心の脆さに腹を立てられずにはいられなかった。
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:Awake 13話(7/15):2013/10/14(月) 00:28:27
この怒りを他者に擦り付け、相手を中傷したのであれば、カーミラはすぐさま感じ取って利
用するつもりでいたのだが、ネイサン自身に向けたので聖鞭の力で精神が保護されてしまい彼
の心の深淵に入り込む事が出来なかった。
ともあれ、ネイサンに対して感情の揺らぎを与えた事は間違いなく、その証拠に死と生の渇
望が入り混じり彼の下腹部が膨張した。
それから己の欲望を含め一気に羞恥心が沸き立ち、近くの遮蔽物に隠れて気分と感情を
抑えるために小休憩を取った。
だが、安堵からか座り込んだと同時にズボンが下腹部を撫でるように擦れて、気持ちよ
さに小さく抑えた嬌声を漏らした。
「ふ……うっ……くっ、はぁ……はぁ……何を考えているんだ……クソッ! 疼きが治ま
らない……落ち着くんだ」
その状況に耐え難い嫌悪が掻き立てられると、耳目を塞ぐように頭を抱えた。
――いったん抜くか? いや、駄目だ。道中にセイレーンやウィッチがいた。精の匂いを嗅ぎつ
けて奴らが寄ってきたらひとたまりもない。
ここまで濃い幻視は、強大な魔力が作用して見せる事象であることは明白である。より
強い魔力を放つ場所を抑えないと何時までたっても幻覚を見続け、その間に完全に迷って
しまうだろう。
そう考えるとネイサンは奮起して、性欲を抑えてから魔力が放出している場所を探しだした。
道中、幻視が何度も見えたが、退魔の原点に立ち返り祈祷文を無心に口唱しながら駆け
ていたため、深淵に向かっていても立ち所に消え失せていった。
やがて、青白い扉が見えてきた。
今から自分をこれ程までに惑わした魔性と対峙するかと思えば緊張し、少し立ち止まっ
て双眸を閉じてから気分を落ち着かせると、一気に刮目して扉に手を触れた。
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:Awake 13話(8/15):2013/10/14(月) 00:29:25
その瞬間、室内から今までに感じた事がないほどの禍々しい濃厚な魔力が噴出してきた。
「お前は確か、ドラキュラと儀式の間にいた…。」
「私はカーミラ。私がドラキュラ侯を復活せしめた。」
扉を開け、広間の落窪にいる姿を確かめたと同時にネイサンは、地下水道で見た幻視の正体
が判った。術者である彼女が見せる幻術に自分は酔わされかけていたのだと。
彼はそう結論を出すと、己の精神の手綱をカーミラに握られかけていた事に、戦慄と羞恥が
込み上げてきた。
曲がりなりにも退魔の能力を有している自分が覚醒状態で惑わされるのだから、この事
象が力を持たない人々に向けられたらと考えれば、この世が混沌の坩堝と化すのは時間の
問題である。
だが、その恐怖に慄いたとしても、対峙した以上、自分が倒さなければ誰もその魔手を
止める事は出来ない。
その事実を受け止め、ネイサンは改めて上位の魔性に恐怖したが、怯んだ事をカーミラに悟られ
ないよう恫喝するように真意を問うふりをした。
「何故、奴の復活を願う!? この世界を地獄に変えようというのか?」
もっとも、本気で答えを求めているわけではないので、別段何を言われようとネイサンは耳
を貸す気も概念を受け入れるつもりもなかった。
「この世が既に地獄だとは思わぬか? 人は皆、闇に憧れ混沌と力を好む、汚れた利己的
な生き物。それにふさわしい世界に変えるだけの事。大した違いは無い」
「勝手な事を言うな!」
――人々が各々の欲望に忠実に生きるって事は、第三者を傷つける必要のないのに為しえ
てしまう行為だ。人として許されるか!
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:Awake 13話(9/15):2013/10/14(月) 00:30:40
カーミラと対面してネイサンは己がいかに惑わされやすい感情を持っていたのかと改めて自覚し
たが、それでも自分だけではなく、無数の人間が利己的な感情を以って行動したらどうな
るかと想像し意識から感情を切り離した。
「あなたも心に潜む闇を開放すれば、素晴らしい世界を感じる事ができる」
「うるさい!」
しかし、どんなに吼えても術者カーミラの見せる幻覚は、会話をすればするほど脳に焼き付
くぐらいの確かさを以ってネイサンの心を惑わせた。
触れる手、絡みつく足、柔らかい唇と舌の感触、拒絶されない永遠と思える時間の共有。
誰にも邪魔されず抱きすくめ漏らした声にときめき、肉と肉をあわせ互いの重みを感じ独
占し、解放しながらしなやかに波の様な態で身体を弄り抱きとめて深く、深く滾らせた物
を幾度も迸らせ、それから……
――だめだ、この女の声と内容を聞いていると欲望が肥大してくる。頑なに撥ねつけないと。
ネイサンの心は欲望を肥大させられた欲動の発露に苛まれ、弄ばれた怒りに震えていたが、
カーミラは表情から察知されたらたまったものではないと微かに眉根をひそめた彼を嘲笑する
かのように、一方の口角を微かに釣り上げ、表情を昏くした。
カーミラは他者に対して優越を求めるでもなく、固執する独占欲を見せないネイサンの感情に苛
立ち挑発するために幻覚の度合いをまた強めた。
「あなたといた彼…。彼は自分に正直だったわ。我が主も彼を気に入った様よ…。フフフ」
「なに? お前らヒューに何をした!」
その言葉を聞き、ネイサンは真租とヒューが対面して自分と同じように彼の野望や欲動を増幅さ
せ心身を弄ばれたのなら、忌々しき事態である。
彼はそう考えを巡らせて自分のこと以上に焦って叫んだが、カーミラは片手を彼に向けると
強い光を発現し、辺り一面が一瞬光に包まれ何も見えなくなった。
150
:Awake 13話(10/15):2013/10/14(月) 00:32:00
ネイサンはその光を見ないように目をつむり、すぐに状況を確認するために開眼したが、目
の前にはすでに桃色のペチコートを着た艶麗な女の姿は無く、巨大な頭蓋骨に乗った赤黒
い女怪――変化したカーミラが浮遊していた。
カーミラはネイサンを見降ろし彼が開眼しているのを確認すると、彼の心を手に取るかのように
言葉を紡ぎ始めた。
「見える……あなたは今苦しみの真っ只中にいる」
「なんだと?」
ネイサンは己が道中を含め、今も淫媚な妄想に惑わされているのをカーミラに見られていたかと
思うと、一瞬、肝の冷える思いをしたが、己の世界に何人たりとも踏み入らせる気がない
彼は、思考を遮断し眼前の敵の動向を観察することにした。
だが、人の身で幻覚を見せる魔性に克てるはずもなく、聖鞭の法力で彼の深層に侵入さ
れないまでも容易く感情を読み取られ言葉を弄された。
「でも、なんと甘美な痛みを伴った苦しみなのかしら」
「……」
「誰にも言えない苦しみは、己の状況を悲劇に変えて陶酔する事の出来る身勝手な感情」
――欲望を認めろ。身近にある幸せを肥大させて渇望しろ。黙っていても私はお前をいた
ぶる。反論してきたら言葉尻をとらえて幻覚とともに弄んでやる。
「黙れ」
「あら、恥じる事など一つも無くってよ。むしろ愛する事はどの様な形であれ美しいもの
なのに。私の手を取りなさい。私の手に掛かればあなたの想いは夢で無く現実にする事だ
って訳も無いわ」
「……」
151
:Awake 13話(11/15):2013/10/14(月) 00:32:45
「お互いに見つめ合い、甘い口付けを気が済むまで交わして、それから……その息遣いに
戯れた後、言葉にならないくらいの絶頂を確かめ合うために、身体をまさぐりながら相手
の奥にある全てを曝け出して何度も何度も愛しむ事は……まさにあなたにとって素晴らし
き世界」
カーミラは沈黙を選んだネイサンを嘲笑うため言葉を重ねた。聖鞭の力により彼女の本領が発揮
できない状況に対して苛立ちをぶつけるかのように、言葉だけで彼の羞恥心を煽るだけ煽
ろうとした。
その言動自体、彼女がすでに相手に対して無傷では王手をかけられない焦りの証左であ
るが、解っていても後は近接戦でしか彼を生贄として手に入れられない事にカーミラは自尊心
が傷つけられ、腹立たしさを感じていた。
「何故自分の想いを隠して生きようとするの? 大切に育ててくれた師匠の息子を穢す事
になるから? それとも下らない決まりで二人とも死刑になる恐怖から? だったら、そ
の元となる師匠を混沌の救世主に捧げればいい。それなら師匠もいなくなって、そのうえ
下らない決まり事など無くなり全てが丸く収まるわ」
――しまった! 師匠や世間に対する考えまで読み取られた! 俺は本当に弱い。そして、
この女は人の心を甘く包み込むのに相当長けている。ともすれば負けた後、本当に手を取
り、この身と思考をすべて委ね預けてしまうくらい魅力的な提案を与えるこの女の下僕に
なって、思うままに実行するだろう。
だけど、ここまで来てそんな真似を許してたまるか!
「聞く価値も無い。お前を打ち倒せばそれで終わりだ」
「そう……ならば死になさい。薄汚い、おぞましい体の合歓なぞ私の許容の外よ」
――薄汚いか……魔性の者にさえ否定されるか。いや、最初から判り切っていた事じゃな
いか。
「我等の手中にある大切な者達を意のままに出来る機会を与えてやったのに。愚かな」
152
:Awake 13話(12/15):2013/10/14(月) 00:33:31
――与えてやった? 俺は師匠に対して申し訳なさを感じた事はあっても邪魔に思った事
は一度も無いし、それに与えられた中でヒューを求めた覚えは全く無い。
それを……いくら道に外れているとは言えだ。
「痛みと幻想を与えてやる。せいぜい抗う事ね……ふふふ」
純粋に力だけであればカーミラが勝っているものの、真租が戯れに与えた力のせいでまさか
ネイサンが自分を追いつめられるくらいの魔力を有しているとは、あまりにも相手を侮り過ぎ
たと彼女は彼と直に対面して初めて後悔した。
カーミラがその変化に気付かなかったのは、カードの効果によって魔力の変動があったため、
完全に彼の力を把握できなかったのが原因である。
ともあれ、雌雄を決しなければ互いの状況が進まないのは両者とも一致していた。
ネイサンはカーミラの攻撃方法を見極めるために回避行動を行い、カーミラは彼の力を量るため軽く
攻撃を仕掛けた。
「まずは、逃げ回りなさい……」
カーミラは幻覚の作用を練り込んだ紫弾を展開し、頭蓋骨の下に大きい電流を放出すると、
足場を伝いながら彼女の攻撃の種類を見極めるために回避して、安置を求めているネイサンを
弄ぶように追い回し始めた。
「当たってたまるか!」
頭蓋骨の下の放電は避ければ当たる事は無いだろうが、問題は自分を追尾している紫弾
が消えるかどうかで戦術を立てないと、いつまでたっても本体に攻撃を加えられないとネイ
サンは踏み、近づいてきた紫弾を聖鞭で叩くと、幸運にも触れた瞬間に消散した。
これにより遠隔攻撃の一つは封じられる事が分かったネイサンは、この攻撃を無効化できる
カードを使って戦端を開いた。
「……小癪な」
紫弾を無効化された事で攻撃手段の一つを失ったカーミラは、腹癒せにヒューに放った巨大な光
線をネイサンに向かって発射した。
153
:Awake 13話(13/15):2013/10/14(月) 00:34:17
光線が発射された事に気付いたネイサンは、後方に飛び退き足場を使い上方へ逃げたが、不
幸にも照射時間が彼の滞空時間より長かったため、為す術もなく全身を焼かれた。
「うふふ……死ななかったの? あの男より強靭なのは認めてあげる。でも、あははは!
服が全部焼けおちればもっと面白かったのに! 残念だわ!」
カーミラはしてやったりと、ネイサンが床に叩き落とされ痛みで蹲りながらも自分を睨む彼の顔
を見て、純粋な嗜虐心を湧き立たせた。
紫弾を封じられた事で言を弄し幻覚を見せるより、自分の力で捻じ伏せてから半死半生
の状態で命乞いをさせ、懇願しても聞き届けることなくその体をドラキュラに捧げ彼の師匠で
あるモーリスの目の前で吸血させ眷族にするか、肉片になるまで嬲るといった残虐な行為を想
像して、震えるような快楽を覚えると心が高鳴った。
――何だあれは! あんなものとヒューは戦ったのか? 今までの駒とは格が違う。だけど、
体は鞭のリーチだけで当たるくらいの大きさだ。遠隔攻撃の種類と挙動さえ間違えなけれ
ば確実に攻撃できる!
そうネイサンは考え頭蓋骨に接近したが、間合いを詰め過ぎて直進してきた頭蓋骨に撥ね飛
ばされた上に、反対側から無数の衝撃波を繰り出された。
だが、落窪の壁に邪魔されて攻撃範囲が狭かったため、後方に退避するだけで回避でき
た。
そこから頭蓋骨が幻視ではない事を確認し、今度は逃げられる範囲で聖鞭を振るったが、
完全に当てが外れた。頭蓋骨に聖鞭を当てても攻撃が透過したからだ。
「そんな……馬鹿な」
当てているはずなのに当たらず驚愕しているネイサンの表情にカーミラは気付くと、侮蔑を表情
に出し盛大に哄笑した。
「私に触れられるとでも思っていたのか、愚か者! 死ぬまで堂々巡りをするがよい」
「クソッ」
――頭蓋骨はカーミラの幻影なのか。しかし、その体当たりは質量があった。いや、頭蓋骨は
攻撃範囲に含まないでおこう。そうなれば赤黒い方が本体だ。
154
:Awake 13話(14/15):2013/10/14(月) 00:35:17
「……そう言えば衝撃波も光線も放出時には背後がガラ空きだった。試してみるか」
出来るかどうか分からない予測を試してみるには、ネイサンの体力と気力は耐えられないく
らい消耗していたが、それでも何もしないで嬲られるよりは有益だと思い、部屋の中心に
ある足場の中段でカーミラの攻撃を待ち構える事にした。
「正面で戦うつもりか? 私との力の差がまだ解らぬか」
突進してくるカーミラの嘲りを無視してネイサンは遠隔攻撃の挙動を待ちながら、彼女の本体に
クロスを投擲し、衝撃波を放ったと同時に足場を伝って彼女の後方に移動して攻撃が終わ
るまで聖鞭を振るった。
彼女の肉体に攻撃した時に打撃音が響き、腐った血液が混じった体液が流れている事か
ら、ネイサンはダメージを確実に与えているのを確信すると、あとは紫弾や突進に気をつける
だけで一定の攻撃で彼女の肉は削がれ、体液を辺り一面に迸しらせることができた。
――攻撃方法がわかったとしても、こいつは体力がある……耐力が相当高い。
やがて、カーミラの肉が崩れ体中から血を噴き出し、その魔力が微弱なものになった時、ネイ
サンの鼓膜が破れるくらい甲高い咆哮とも悲鳴ともつかない不快な叫び声が上がった。
それから彼女の全身が浄化の炎によって燃え盛ると、すぐにその体は陽炎のように揺ら
めいた。
そして、陽炎もその場から消散し強い光がまた空間全体に瞬いた。
それから間を置かず、光が収束すると打撲痕や裂傷が体中におびただしい数を以って刻
まれ、ペチコートがところどころ裂かれ、焦げた様態で石畳にへたり込んだカーミラが現れた。
口角から血をとめどなく流し、艶麗な容姿を苦痛に歪ませながらも自分を凝視し、血涙
を流しながら睨みつける灼眼に、ネイサンは勝者とはいえその悪鬼の表情に全身が粟立った。
――これで術者は掃討した。魔力がほとんど感じられない。真祖が消滅するのも時間の問
題か。
ネイサンはそう考えたが、カーミラはその安堵した表情を見て口角を歪ませると、喉を鳴らす音
を出して吐血しながら彼を馬鹿にした歪んだ笑顔を見せた。
155
:Awake 13話(15/15):2013/10/14(月) 00:35:55
「…もう遅い。儀式の支度は整った。後は月が満ちるのを待つのみ。我が主が完全に力を
取り戻されるのは、もう時間の問題…あなたの大事な師匠と仲間は…」
そして、ネイサンの心に楔を打ち込むかのように言葉足らずな科白で彼の不安を煽ると、そ
のまま体を揺らめかせてカーミラは消滅してしまった。
「師匠! ヒュー! クソッ!」
ネイサンはその言葉の真意を測りかねて、いや、最悪の形――二人共、すでに真祖によって
贄とされてしまい、いくら死闘を繰り広げても、自分だけが生き残っても二人がこの世に
おらず真祖が完全な力を取り戻したらと想像して、絶望と諦念、何もかも阻止できなかっ
た自分に対してやり場のない怒りを湧き出たせた。
――だけど、確認できない以上は言葉にされても惑わされちゃいけない。進もう。
まだ終わっちゃいない!
そう彼は気を取り直し、次に進むためのマジックアイテムを手に入れようと最奥の宝物
庫へと足を進めた。
そこは、宝物庫というにはとても寂しく薄暗い何もない空間だった。
ただ、木の台座の上に大きい鳥類の片翼が鎮座していた。鍵ではなかった事にまたネイサン
は落胆したが、どういったものか調べるために手で触れた瞬間、そのまま跡形もなく消失
した。
何が起こったのかと唖然としたが、気のせいか体が軽くなったような心持ちがした。試
しに飛び上がったところ、急に体が引っ張られるような速さで天井に向かって垂直にジャ
ンプした。
その状況に彼は驚き、頭を天井にぶつけないよう体を回転させ、天井に足底をつけて衝
突を回避した。そのあとはすぐに石畳に着地したが、急激に着地した時の関節の痛みや痺
れは全くなかった。
ともあれ、とうとう人にあらざる高さで移動できるようになったネイサンは、展望閣へと続
く天空の未完成な階段を目指し、敵に接触しないよう高く跳びあがりながら進んでいった。