Awake 15

 

 

174 Awake 15話(1/142013/12/20() 23:10:52

――師匠!

「はっ」
――
幻聴か……今は何時だろうか? 何時間も術で身体を拘束されているから既に感覚が
痺れてきている。
 このままでは身体を傷付けられなくとも寒さも相まって身体全体が壊死してしまう。若
い頃ならいざ知らず、年老いたこの身体にはかなりの拷問だ。
 覚醒したモーリスはドラキュラが眺めていた水晶球をぼやけた両眼で知覚し、少しの間目を向け
ると、それに気付いたドラキュラがまだ魂が肉体にあり、精神が消失してなかったモーリスの存在
に不快を感じ、皮肉を放った。
「気が付いたか? 貴様が無様に伸びて無ければ面白いものが見物出来たろうに……
……
「如何在っても我と言葉を交わす気には為れぬか、残念な事だ、ボールドウィン。その点、貴様
の息子は我に対して友好的で在った」
――
言葉を交わしたのか……ヒュー。何と愚かな事を。我等はどうあっても彼奴らのような弄
言する輩に口では克てぬと言うのに。
「貴様の息子が我と契約し、貴様が後継者と目したガキの父親と同じ状況に陥った様は見
物だった。あの時の操り人形と同じく人の狂気と言う物を、存分無く我に見せてくれた良
い玩具だった」
――
ヒューよ……ネイサンの父親と同じ道を辿ったか。血気に逸った感情を利用されドラキュラと対峙
したその場で魔手に堕ち、一瞬前には共に戦っていた夫人を己が剣で切り刻んだあの男の
ように。
吸血され、錯乱したグレーブスを救うためには術者である真祖を塵に還すしか方法は無い。
無論、魔力だけで非力な彼女がグレーブスの攻撃を防げるはずもなく、儂もその間、ドラキュラの
攻撃を受け闘い、彼女を助ける事が出来なかった。
躊躇無く夫人を屠り尽くした後、儂に刃を向けるグレーブスの容赦無い攻撃を受け、何度も攻
撃を躱わすために仕方なく突進して来る彼の胸部を鉄靴で蹴り飛ばしながら防いでいた。
儂は、あの二人を助けることが出来なかった。心を最後まで救う事が叶わなかった。

175 Awake 15話(2/142013/12/20() 23:12:15

「親父。より強い力を求めて何が悪い。俺は親父のように仲間を己の力不足で死なせたく
は無い!」

……退魔の能力は遥かにグレーブスが儂より上回っていた。そして、ヒューより高い矜持を有
し他者を見下すことにかけては、ヒューなど足元にも及ばないほど苛烈だった。
その彼が魔に堕した時、儂に吐いた言葉は未だに忘れる事は出来ない。

「グレーブス! 止めてくれ! お前……何という事を! 彼女はお前のために、お前の事を
常に思ってどれだけその身を焦がしていたと思っている!? その彼女をお前は……グァ
ッ!俺にまで剣を向けるのか!?」
……ボールドウィン。貴様はその惰弱な憐憫の情を以って、どうやって幾人の者達を心から救
えることが出来た? 俺は力を誇示して言葉を尽くしても大勢の人間を助けても誰も……
俺に心を許してくれなかった!」
 残忍な目付きでグレーブスは無残な姿で息絶えている夫人を一瞥し、まなじりに憎悪を醸し
出した皺を作りその視線をモーリスに向け微かに笑いながら言葉を続けた。
……そこに転がっているその女も同様だ。俺の妻で俺の血を継ぐ息子もあるのに……
の女が貴様にだけは心から微笑んで俺を嘲笑う。だから消してやった!」

「誰もが貴様に対して心からの賞賛を与える。じゃあ俺は、俺は一体何のために無力な衆
愚共を救い続けているんだ!?」

――
衆愚!? そんな事を思っていたら心を開く者も開く訳が無い。
当たり前じゃないか、同じ人間同士言葉を尽くさずとも感覚で判る。
「グレーブス……お前のその高すぎる矜持が己の身を焼き、己の心を自分自身の狂った陥穽に
嵌めて汚している事さえ気付かないのか……? 人の夫、人の父となっても己の事しか考
えられぬ者に真の賞賛を求める資格は無い!」
「言ったな貴様ぁああぁ――!!」
――
実際、真の賞賛などというものは存在し得ない。それすらも感じる事が出来ないほど
不自由な心で生きていたのか……グレーブス……

176 Awake 15話(3/142013/12/20() 23:13:17

――冬の波間の様に美しい灰銀のウェーブを靡かせた彼女が、寂寥漂う灰青の瞳を持つ青
年の永久凍土とも呼べるくらいに硬い猜疑心を融かしたと思っていたのに。
それに俺は二人と出会う前から妻がいた。その俺が何を好き好んで姦通を犯さねばならん
のか。
彼女の想いすらもこの男は平気で踏み躙るほど、己が愛された事を理解せず受け入れられ
なかったのか……
 
 どうしようにも解決できない状況にモーリスは、吸血され術に堕ちたグレーブスを見て失望の念
を拭いきれず罵ろうとしたが、ふと先刻まで温かい血潮を巡らせ戦っていたグレーブス夫人の
無残な姿が視界に入った時、彼女がグレーブスに対してモーリスに吐露していた会話の内容が蘇っ
てきた。
 あたかも彼女が哀れな夫のように怒りに任せて術に堕ちそうになった、たった一人の僚
友を全力で護り尽くすかのごとく。
 
――
「ボールドウィンさん。あの人の言った事を許してあげてね」
――
「あの人が他人を傷つけ遠ざけるのは、自分自身が大っ嫌いだからよ。でも自分自身
の所為じゃないのにずっと否定されてきたんだから、自分を守るためには仕方の無い事か
も知れない」
――
「私も彼やあなたに会うまでそうだったんだから、言う資格は無いかもしれないけど、
自分の半身の様に思えてならないの。だから今まで大事にしなかった自分自身の心を繋ぎ
合わせるように愛しみたいから、あの人の傍に居るの。身勝手かしら?」
――
「不器用だけど最近じゃ顔を赤らめながら花をくれたりするの。でもこの前は……
ふふっ、ずっと茎を握り締めていたせいで花がクタクタになったのに気付くと、いつもの
調子で勝手に怒りはじめて勝手に悄気返っているの」

177 Awake 15話(4/142013/12/20() 23:13:55

――「おい! どうやったら泣き止むんだ? 何か苦しそうだぞ? 痛いのか? あ? 
腹減ったのか?」
――
「あらあら、どうあやして良いか分からないのね。貸して。お父さんが慌てたらます
ます不安になるわよ」
――
「参ったな……お前には敵わないよ」
――
「当然よ。今は私の手元にあるけど、いつかはあなたが全てを教えることになるのよ。
それまでは私の領分であって欲しいわ」

――
そうだ! グレーブスは出会った頃とは違って彼女を心から愛し、息子のネイサンを慈しむ穏
やかな目で見ることが出来るほどまで人としての温かさが快復してきたのだ。
以前はそうだったとしても現在は違う。過去は過去だ。
しかし、覆い隠されたとはいえ本人の通ってきた道でもある、その欠片が一片たりとも残
っていないことなどあろうものか。
それを本人が望まぬとしても増幅させれば獣性が滲み出すのか!? 何と非道な!

「ドラキュラ……貴様だけは許さない。心の隅に眠る切片の記憶と感情を己の愉しみの為だけ
に弄り回して惑わせた貴様の罪は、煉獄に堕ちても漱がれる事は叶わぬと思え!!」
 モーリスは歯を剥き出し、さながら狂犬のように己を屠ろうと待ち構えている血塗れの狂戦
士に――それも最も愛する者の血を浴びた外道と成り果てた僚友の姿を見やり、声になら
ぬ叫びを挙げて術者であるドラキュラに幾度と無く不死者を屠った聖鞭を向けた。
 そして、度重なる疲労で充血した目から血涙のような濃い涙を流し、くぐもった声を出
しながら徐々に悲しみを帯びた唸り声を上げると、強大な異種の魔性に鞭を鋭く振るい挙
げた。
「何故己を害する者の為に涙を流す? 貴様自身の状況を考えればそんな余裕はあるまい
に。ククク……望むも望まぬも人の皮を被ったその狂戦士は貴様を消し去る迄、ありとあ
らゆる手段を駆使して屠る悦びを求め続けるぞ! そぉら如何した! 逃げろ、逃げろ!
無様に!クハハハハッ! 愉快だっ!」

178 Awake 15話(5/142013/12/20() 23:14:33

「ボールドウィン! 力の覇道の為に礎となれ! お前の力も合わされば誰も俺に冷笑をしない!
更なる力を! だから死ねぇええぇ――
「来るな! グレーブス――! 俺はこの手でお前を塵に還したくない! 止めろ――
 だが、いくら大声で制止を促してもモーリスを攻撃する切っ先に微塵の躊躇も見られないグレ
ーブスの猛攻は、モーリスが鞭を振いグレーブスの身体に牽制程度に中てるなど、全ての力を防御に
注いでも、モーリスの正面ほとんどの致命傷となる部位の薄皮に血が滲むぐらい的確に捉えた。     
 そのため相手を殺害せずに解呪したいと考えていた自分の甘さに怒りを覚えると共に、救
う道を断たねばならない苦衷が心の中に溢れていた。
 現に防御するため聖鞭を振うも既にグレーブスは灰青の眸から濁った灼眼――吸血された兆
候が出始めていた。その証拠に鞭が彼の体を掠る毎に硝煙の様な煙と回復しない傷が徐々
に増えていったからだ。
 これでは剣技と膂力が勝っていても肉体の欠損により崩壊するのは明白である。モーリスがグ
レーブスを屠るのは時間の問題になってきた。
――
肉体が崩壊しようとも、それでも立ち向かう狂気。俺は彼の心を救うことはできない
のか? なぜそんな笑みを湛え、快哉しながら俺を殺そうとする?
ラテン語聖句……駄目だろう、既に傷口が灰と化している。魔性の者になりつつある証し
だ。
と言って真祖に近づくとしても彼の攻撃を無視して突撃したら両者に嬲られる。

 モーリスの胸中を知ってか知らずか、玉座より冷笑を眼下に向け両者の対決を真祖は眺めて
いた。
 彼が防戦一方で苦しみ、グレーブスが残忍な笑みを向けながら血液が灰になっても攻撃し続
ける異常さに段々面白みを感じ始めたのか、ふてぶてしく両足を組み玉座の肘掛にもたれ
て両者の戦いを剣闘士の試合のごとく観戦し始めた。
「ほう……疾風の如き動きと其れとは反対に隙の無い剣捌きだ。此処まで均整が取れて居
るのは一種の芸術でも在る」

179 Awake 15話(6/142013/12/20() 23:16:10

 しかも独りごち、批評まで行う始末。盤上の駒を弄んでいる感が見受けられた。モーリスの
耳朶に心ない科白が掠めると、怒りに震え落涙した。
――
貴様の様な外道のためにこれ以上人々の命を落とさせてたまるか! 
 それからモーリスは己の置かれた立場に改めて絶望し、グレーブスと対峙しつつも今一度、許し
を乞うため夫人を見た。
……済まない。俺には友を殺す事でしかこの世を救えないようだ。許してくれ」
 小声で呟いた瞬時、グレーブスが剣をつがえモーリスに突進して来た所を聖鞭で彼の剣を絡めと
り攻撃する手段を失わせ、同時に対峙していたグレーブスの許から薄笑いを浮かべ観戦いてい
た真祖の玉座へ駆けあがった。
 当然、血肉を求めていたグレーブスが攻撃の手を緩めるはずもなく、素手でモーリスの体に飛び
掛かって首筋を噛み切ろうとしたが、その気配にモーリスは彼の胸部に聖鞭を振り下ろし、玉
座に向かう階段から叩き落とした。
 その一撃でグレーブスの行動が停止した。血と灰が混ざった奇妙な光景が眼下に広がったが、
微かに動いていたため死んではいないと確信したモーリスは、真祖と雌雄を決するため今度こ
そ一対一で対峙し闘争した――

……終わった、やっと終わった……
 モーリスは真祖の消滅を確認してから糸が切れた様にその場にへたり込もうとしたとき、空
間全体に振動が走った。
「城の崩壊は案外早かったか」
 心を奮い立たせ、ぐらつく足元をものともせずグレーブスを抱えて脱出しようと試みた。グ
レーブスを支えようと自分の肩に彼の腕を回しながら、玉座下の階段で息絶えているグレーブス
夫人を見た。
――
今、グレーブスの体内から流れている血液に灰は見当たらない。多分、グレーブスの魂は人
の世に留まったと思う。安心して君は一足先に眠っていてくれ。父と子と聖霊の名におい
て。アーメン……
 物言わぬ夫人の躯に別れを告げ、モーリスは意識が飛んだグレーブスを支えながら城外へと脱出
するため、歩みを進めた。

180 Awake 15話(7/142013/12/20() 23:17:07

 やがて、脱出直後に入り口が押し潰されると、暗闇の中に崩壊した城を復活しないだろ
うかと確認しながらモーリスは、正気に戻ったかどうかわからないグレーブスの傷ついた身体を抱
えて城外へと向かった。
 しばらくして焼ける臭いがした。振り向くと崩壊した城から燭蝋の火でも木材に燃え移
ったのだろう、小規模だが火の手が上がり空を朱に染めていた。
 グレーブスの重みを感じてまた彼の夫人の事を考えたが、無数の瓦礫にガラスの破片が飛散
し完膚なきまでに崩壊した城を見て、グレーブス夫人の遺体は瓦礫に埋もれて押し潰されてい
るだろうとモーリスは想像した。
 しかし、遺体の状態を確かめなければ村に戻って報告する際、ある程度損壊すべきかど
うか報告できなければパニックに陥った村人たちが自分達に何をするか分からない。   
 だから、一旦グレーブスを村へ置いた後、遺体を引き揚げようと考えた。
 崩壊しながらもうもうとあがり続けた土煙がある程度おさまり、城跡が現れ始めた時に
振り向くと遠目で確認できるくらい離れていたが彼女の遺体はすぐに見つける事が出来た。     
 悪魔城の天守閣跡にグレーブスが贈った指輪を嵌めた白い手が瓦礫から突き出ていた。
 モーリスはその状況に当初の目的を忘れてしまうほど動揺し、グレーブスを介抱しつつすぐさま
その場所に歩いていった。それから膝を付いてグレーブスの体を横向けにし、その場に寝かせ
ると夫人の手を取ってから彼女の名を呟いた。
 手はもちろん冷たく、瓦礫もある程度遺体に堆積していたので生き返る事は最早ないと
考えた。それよりも一刻も早くグレーブスを村に連れ帰ろうと彼のもとに向かった。すると、
背後で咳込む音が聞こえた。グレーブスの意識が戻ったのだ。
「ブバッ……ゴボッ……ケハッ……はぁ……はぁ、く……る、し…………あぁ、ボールドウ
ィン……俺は……? それに彼女は?」
――
見たら忘れられないくらい酷い有様で息絶えていた彼女の状態を忘れたと言うのか?
記憶が混濁しているのか。無理もない、お前の心と体はほぼ死地に立っていたのだから、
おかしくなっても……それに、俺もどうかなりそうなくらい神経が張り詰めている。
 意識を失っていたグレーブスは覚醒すると、いきなり大量に喀血して口角からとめどなく血
を流した。

181 Awake 15話(8/142013/12/20() 23:20:09

それから口中に溜まった血液がグレーブスの喉頭に浸入し、肺腑からの出血も相まって喉頭
に流れて詰まり呼吸が出来なくなり、やむなく意識が遠退くのを防いだと言った方が正し
いだろうか、いずれにしろ瀕死の重傷を負ったグレーブスが文字通り身を引き裂かれた苦痛を
伴う、ひと時の生を噛みしめる最後の機会を得ることが出来た。
 もっとも、その生を安寧な状態で享受する事はグレーブスには許されなかったが。
 モーリスは息も絶え絶えの姿で自分に向かって血塗れの手を差し出すグレーブスを見て、その手
を両手で強く握ると、生きる希望を持たせるために嘘を吐こうかどうか迷ったが、もし彼
女の遺体に浄化の裁定が下れば、グレーブスにとって最大の辱めを受けるだろうと予想した。
 それにショックは小刻みに与えられた方がまだましだと思い、だが、簡潔に真実を述べ
るだけに留めようと努めた。
「死んだ」
 と一言だけ重く。グレーブスは一瞬息を呑むように、たった数文字のこの世にあるもっとも
残酷であろう言葉を受け止めた。
「村に行こう。グレーブス」
「そう……だったな。愚かな俺が、愚かな感情を以って殺してしまったんだったな。全く
持って救い難いクソ野郎だよ、俺は」
 モーリスはこれ以上の時間の経過と会話はグレーブスの命を縮めると判断し、外に繋いで置いた
馬に乗せるため背中を向け、抱え上げようと体を背けた。だが、
「目を背けるな、あんたはこんな……時でも言葉一つ掛けないんだな」
「違う。無意味な問答を続けるなら一刻も早く村へ急いだほうがいいと判断したからだ。
泥のように眠り、泣くのはここでする事ではない」 
 モーリス自身、酷い言葉を吐いていると心を痛めたが、言葉をかけると彼自身も心が折れそ
うになるので苦悶の表情を浮かべて己の心情を遮った。
「俺はここで死ぬ。もっとも彼女は天国ヘ……俺は真祖と共に煉獄へ直行だが」
「何を気弱な……馬鹿を言っている暇があったら俺の背に身体を預けろ」

182 Awake 15話(9/142013/12/20() 23:21:11

「フッ……胸骨の破片が皮膚を突き破っているこの姿を見てそう抜かすのなら、よっぽど
の阿呆だな。あんた」
 グレーブスが自嘲するように軽く笑うと、血まみれの自身のコートを剥ぎシャツをおもむろ
にたくし上げた。モーリスは振り返ると近くに燃えている手頃な角材を松明にし、グレーブスの上
半身付近に翳した。
 微かな明かりによってその無残な姿を確認すると、吐き気を催すのに数秒もかからなか
った。いや、その状態で話しながら表情を変えることの出来る姿に、恐怖と戦慄さえ覚え
たのが最大の理由かもしれない。
「うっ……俺のせいだ。俺が……お前を打擲し階段から叩き落としたから……
「仕方ねぇよ。俺相手に手を抜いたらあんたは今頃この世にはいねぇ。自惚れんなよ。解
ったなら俺に末期の言い訳でも吐かせてくれ」
 グレーブスは眉根と目頭に悲愁の漂う無数の皺を寄せながらも、喀血した血液を流しつつ口
角を緩ませ微笑した。その様は人としての生を全うするには歪な姿であったが、痛みに対
してグレーブスが尋常ならざる耐久力の持ち主であった事を改めてモーリスは思い知った。
 本人の意思や、体の状態から、助かる見込みが全くないと判断したモーリスはグレーブスを抱き
かかえ、彼の夫人の所まで連れて行くと少しの間横に寝かせた。
 それから、残された力で瓦礫を取り除き夫人の遺体の8割くらいを引き揚げた。8割と言
うのは膝から下は無残にも瓦礫によって潰され、見るも堪えないほど肉片が細切れになり
消失していたからだ。
 しかし上半身はグレーブスが切り刻んだ痕以外は、埃に塗れていたとは言えほぼ無傷と言っ
ていいほど綺麗な姿で残っていた。
 既に立って歩く事さえ叶わず、自らの力で座位を保てない状態まで弱ったグレーブスをその
まま冷たい地面に寝かせるのは可哀想だと思ったモーリスは、抱きかかえたままの態勢で地面
に腰を下ろした。
 グレーブスは夫人の姿を横目で確認すると、震えながら片手の指を絡ませてその手を取り、
少し握りしめた後、握力が失血で奪われたのか、すぐに力なく冷たくなった手を取り落と
した。

183 Awake 15話(10/142013/12/20() 23:22:12

「ごめん。結局、君を幸せにするどころか俺は……君を殺しちまった。許さなくていい、
どうか、天国に行ったら俺の事なんて忘れて心穏やかに居てくれ。もう、力もしがらみも
全て、君を苦しめるものはないのだから……だから、口づけはしない。愛していても、俺
にはその資格がないから」

 それからグレーブスは天を仰いで嘆息し、死に逝く者として惜別の情を吐露し始めた。
 唯の人間であれば白目を剥き、喀血した血液が咽頭に逆流して呼吸もままならないが、
それでもすべて吐き出さないと安らかに逝けないと思ったのだろう。
「モーリス……。俺は力なんて要らなかった。もし出来得るなら平凡に生き、彼女に愛される
事に引け目を感じないで愛し、ネイサンを教え導きたかっ……ぐばっ……はぁはぁっ……普通
の家に生まれた俺だけに退魔の力があったせいで、家族共々奇異の目で見られバラバラに
なった……代々その能力を連綿と受け継ぎ、その状況を少なくとも一族だけが奇異としな
いあんたの環境が羨ましかった」
 彼は痛みに耐えつつ今度はモーリスの手を震えながら握り胸元に引き寄せると、荒い息を常
人の様に弾ませて苦痛に満ち引き攣った笑顔を見せたが、その眼には清々しい輝きが宿っ
ていた。
「同時に俺と同じ力を持つ者と出会えた事がどんなに嬉しかったか。そして心からこんな
俺を愛してくれる彼女も……オブッ……グフッ……同じ力を持っていた事にどれだけの運
命を感じたか……
 そう言うと、グレーブスは再び夫人の手を取り、嵌めている指輪を確認するかのように彼女
の手に優しく触れた。そして、また咳込むと、大量に喀血し鮮血が大地に迸った。
……ゼェゼェ……だが、この能力のせいでどこへ行っても風聞によって気味悪がられ、
まともな仕事を得ることさえ出来ず、食うに困って己が忌避している能力を嫌々ながら使
わざるを得なかった。だからその対価として……唯一無比の限りなき栄誉と賞賛が欲しか
った」
 モーリスは悔恨を口にした彼の淀みない言葉に、今まで過ごしてきた時間を思い返すと自然
と双眸から涙が溢れた。

184 Awake 15話(11/14)2013/12/20() 23:26:36

「だけど、あんたや彼女と一緒に過ごした時間は、そんな葛藤や渇望をも忘れさせてくれ
る程とても幸福だった……僥倖を享けた自身が死ぬ事に未練は無い……心残りが無い訳で
はないが……その前に……
 グレーブスは瞠目し、ぎこちなくモーリスに微笑みかけると、一筋の涙を流して血でむせながら
も明朗な声音で懇願した。
「ありがとうモーリス。最後に人の心を取り戻してくれて……それから、済まないがネイサンを頼
む。愚かな俺のように、力だけで孤独に生き抜く事の無いよう教え導いて……くれ」
「グレーブス!?」
……
 遺言を残したグレーブスは最後の言葉を紡いだ後、消え入る様に穏やかな相貌で逝った。そ
れでも温かい血が流れ続けていた。瞳孔を開いたまま絶命したグレーブスの遺体をモーリスはひし
と抱きしめ、次第に無念が込み上げると廃墟の真っただ中で咆哮した。
……俺はお前達を助けられなかったんだ! 謝辞を言われる理由など無い――!」
 魂はこの世にない、もう二度と照れ隠しのつもりで捻くれた表情をして言葉を発する皮
肉屋の声を聞く事が出来ないのは分っている、分かっていたが、それでもいつも一緒に戦
ってきた仲間を一度に失った悔しさと悲しみは、すぐに拭い去る事など出来る筈もなかっ
た。
「起きてくれ! 目を……っ、覚ましてくれぇー! お前まで逝ったら誰があの子に能力
を引き出させる事が出来るんだ!?」
 モーリスは心ならずも力を求道しなければ己の精神の均衡が保てなかった僚友と、力を持ち
ながら共に生き、愚かなまでの抱擁を是とした僚友の妻の生き様に、言い様の無い空虚と
憐憫を以って生き残った己の道を思い、どの様な声を出して泣いているのかさえ分らない
くらい哭いた。
――
こんな道を残された子供達に歩ませていいのか? 俺は……強制したくは無い。
だが、俺達のような力を持っている者がこの世にどれだけ居ると思っている? 人の力だ
けで解決できない事態を見過ごして一時の安寧を得たとしても、後悔だけが残るだろう。
グレーブスは力など要らないと言った。

185 Awake 15話(12/142013/12/20() 23:29:29

「ならば力を持つ意味を模索し己の物として体得するのが途では無いのか?」
――
子供達……ヒューなどは既に一族の中で成人した者でも負けている者すら居るくらい、退
魔の能力と状況判断の的確さを持っている。
しかし、本当に諸手を挙げて喜んでいいのか? グレーブスのように己が与えられた力を考え
ぬままに使い、自壊して行く道に陥るのではないか――? 
 
――
案の定ヒューは嗣子として生きることのみに執着し、己が持ちし能力をあたかも息を吐く
ように存在する事が当然だと考えていた。
嗣子として生きるのも一つの道ではあろう。現に父は自分に誇りと嗣業に矜持を持つよう
儂が物心付いた頃より自身が死ぬまでずっと言い続けてきた。
それから言ったらヒューは嗣業には矜持を持っているだろう。だが彼自身に誇りと自我は微塵
も無い。あるのは他者に取り縋り己が何者かであることを他者の目から見て確認し、その
レールに乗って生きるだけの人形のような生だ。それも相手に対して優秀にこなす人形だ。
それが故に取り返しの付かない事になるまで見抜けなかった。だがそれを儂が指摘したと
してもその望む通りに振舞うだろう。それでは駄目だ。また自分の足で立つ事に遠のいて
しまう。
だからあえて突き放した。己の道に選択を与えるために、思考の結果、職業を放棄しても
いいように。そして職業として選んだ場合は上に立つだけでなく、ネイサンが負ってきた役割
も卒無くこなせる様になってもらいたかったから。
いや、儂自身が同じ職業を選択した我が子の死に様を見たくなかっただけかもしれない。
幸運にも遺児のネイサンは儂と性質が同じだった様なので、あらかたグレーブスの遺言を履行でき
たみたいだが、ヒューの根底は儂と同じ性質を持ちながらも、攻撃の性質は力を飽く事無く欲
したグレーブスと同じであった――

186 Awake 15話(13/142013/12/20() 23:30:03

覚醒しても一言も発せず、自分を見ている生贄に神経を逆なでられた真祖は、苛立ちを
顕わにした。
「忌々しい奴だ、貴様は」
……
「我の復活の妨げを一度ならず二度までも人間風情が見る事が出来ようとは。何か言え」
 真祖は自分に一度打ち勝った人間が無関心なさまに不快を表し、怒りのままに片手で首
を絞めた。
 一方、対話する気など一切なかったモーリスだったが、首の関節がミシミシと音を立てられ
るくらい人の膂力では太刀打ちできない力で首を締め上げられ、痛みを与えられた事に恐
怖を感じて、半ば懇願するかのように質問を絞り出した。
「ウグッ……放せっ、はぁっ、カハッ……何故、貴様は己の意思にかかわらず復活する事
を是とし、受け入れる?」
「誹謗するか命乞いするかと思えば質問を投げ掛けるとは無作法な。此れだから下賎の民
は躾が成って無いと言われるのだ。だが、この城に来てから初めて貴様が我に興味を向け
たのに免じて許してやる」
 口角を歪ませニヤリと笑い絞める力を緩めると今度は、モーリスの顎を指で掴みグイと面前
に近づけ呪詛を吐くかのように、だが、淀まぬ口調で彼に答えた。
「我にはもう現世に於いて領土と、それに付随する臣民と呼べる者は持ち合せて居らぬ。
しかし魔たる彼等、闇を求める人間はその我を心から要求し、我の願いと憎悪を叶えよう
としてくれる。我の為に動いてくれる新たな臣民の求めに応えるのは領主たる者の務めだ
からだ」
――
愚答だな。死人と認識しているのにも拘らず、この世にでしゃばる愚を冒すほど未練
たらしい生き様は無い。
……これ以上儂が貴様と問答する理由はないな」
……ほう、今ので我の総てが解ったとでも?」

187 Awake 15話(14/142013/12/20() 23:31:53

「貴様の知った事ではない」
「尊大で無礼な奴だ。感情と思考を己の胸中に秘め置いて、他人の問いに答えぬとは」
……
「また、沈黙するか。臆病も其処まで来れば寡黙や厳格と謂われるだろうな。だが、貴様
は十年前我を恐れて口も利けぬ程、震えて居たでは無いか」
 実際は怒りに震えてモーリスはドラキュラと対峙していたが、その光景すらも相手を弄する糧と
なす浅ましさに、言葉には出さずとも心の中で色をなしてさまざまな言葉をもって中傷し
ていた。
……
「フン……まぁ良かろう。貴様と我の力の差は歴然として居るのは疑い様の無い事実。術
で拘束されて居る其の身で何を言うたとしても、我の復活の為の生贄と言う事には相違無
い」
……
――
発言せず心で聖句を繰り返し、正気を保っている儂を簡単に贄として消費できるか?
いや、されて堪るか。グレーブス達が生命を賭してくれたおかげで生き残ったこの命を、最も
憎むべき相手に捧げて無為に失う事は、彼等から託された総ての未来を消し去ってしまう
事になる。今出来る事は儂が魔手に落ちない事、ただ一点のみだ。
 モーリスはドラキュラを鋭い眼光で睨みながら一言も発せず対峙する事に決めた。