Minciuni si Adevar. <0>

 

 

2 Minciuni si Adevar. <0> 1/22010/09/26() 02:02:54

 主よ。
 騎士の称号を捨てた私が今更何を、と思われても致し方の無い事とは思います。
 しかし私が昔も今も、あなたがたの従順な僕である事に変わりありません。

 かつて、私の懺悔を聞き入れ、受け止めてくれた女性が居ました。彼女は私にとって、
あなたがたと同じ、護るべき存在であり、この先幾許あるかも分からない生涯において
唯一の理解者であり――護る事が出来なかった存在になりました。
 けれど彼女は私を責める事をせず、涙一つ溢さなかった。最期の時まで。

 彼女は親が決めた婚姻に頷いて、引き合わされた私を懸命に愛そうと努力し、また、愛し
てくれていました。…私がどんな人間かを知っても。
 男女の、夫婦となるべくして交わされた秘密の共有をして、彼女が私に関わる事で人知
れず苦しんだ事や悲しんだ事は全て、私の罪です。
 彼女に何が出来たでしょう。剣を使う事も爪を突き立てるも出来ない、それこそ虫さえ
殺せないような優しい女性でした。
 …嗚呼、今でも覚えています、彼女の膝へと、まるで子供のようにすがり付いていた私の
髪を梳きながら、彼女は静かに耳を傾けてくれていたのです。私の嗚咽めいた叫びに。
こころから上げていた言葉に。
 
 彼女は彼女たるべくして産まれ出で、生き、私の傍に在り、そうして…私の傍に在ったが
為に、闇に引きずり込まれてしまった。
 彼女が夜の一族を前にして、何が、出来たと言うのでしょう。
 私は彼女を非力とは思いません。むしろ、彼女は強く在ったのです。そうでなければ、
私にあのような願いをしなかったでしょう。

 非力なのは私の方だ。私は知っていた筈なのに…繰り返しの日常の中で、安穏とした日々の中で、
私は身とこころに刻んでいた筈なのに、何故真実に強く在ろうとしなかったのか。
 それが私の弱さの証明。
 優しさが罪ではないのです。彼女が導として差し出した優しさに触れ、立ち向かおうと勇気
を振り絞らなかった事こそが罪だと思うのです。

 彼女だけが知っていた私の罪。
 主よ、あなたにさえも、誰にも打ち明けられない私だけが抱えるべきものを、許嫁であった
彼女に打ち明けてしまった私の傲慢、非力さが、彼女の命を奪った。

 …いいえ、奪ったなんてものじゃない。私の生涯ですら短い時間、彼女の魂は闇に縛り付
けられてしまっているのです。
 そうさせたのは私だ…小さな、愛しむべき彼女の身、精神に私の罪を背負わせたのは、
他ならぬ私。

3 Minciuni si Adevar. <0> 2/22010/09/26() 02:03:32

 今、屋敷に居る家族を始めとし、未だ見ぬ私の子供達。領主として慕ってくれていた人々
を二度と戻れない道へと引きずり込んでしまっているのもまた、私です。

 …主よ、聖母マリアよ。
 明日なき道だとしても、私は彼らを護ります。せめて今以上の苦渋を彼らに与えないよう。
 私の選んだ道が茨の道ならば、肌を裂き肉を傷つける棘で彼らが苦しまぬよう、彼らを背
負い彼らの重みを私が引き受け、痛みさえも引き受けましょう。誰よりも先を歩いて道を開
いていく、そうあるように最大限の努力を常に続けましょう。
 ですからどうぞ、今宵の呟きをお許し下さい。誰にも、私自身にも二度と聞かせぬとお約
束致します。

 嗚呼、輝かしい思い出なぞ、最早私には不要なのです。
 私が今まで大切に鍵をかけてきた場所。誰にも踏みにじる事は出来ない私だけの秘密の
場所など。明日から生きて生き延びて行く為に、不必要なものを携えて歩む余裕など無い。
 だからこんな想いなど…捨て去る事が難しいならば、二度と見られぬように踏み荒らし、
更地と化してしまえば良い。
 私は誰かに、記憶を消して欲しいと望んでいるわけではないのです。彼女のような存在
が欲しいと嘆いているわけでもない。
 それは自らの力で行わなければならないと私は知っていたにも拘らず、彼女に甘えた。
 この傲慢さが彼女の死を招いたのならば、いつか死の鎌が私の頸に掛かるまで、私は誰
にも口を開かずにこの想いを殺し続けましょう。


 鍵は私の口唇。扉はいつも、私の奥に。
――マティアス。
マティアス=クロンクビスト…

 そう、始まりはいつだって、草原だった。
 あの空、あの雲、あの風…私は覚えている、忘れる事が出来ないように毎晩ベッドの中で
必死に瞼裏で描いていたから、鼻を擽る匂いも頬を掠める草の息吹も、肌が簡単に思い出
してくれる。
 傍らにはいつも同じ人物が居る。叢に腰を下ろし、黒い髪を風に遊ばせて空を眺め続ける人が。
 彼は私に問いかける。寝転んだまま空を見上げる振りで、彼を見ていた私に。

『レオン、空を飛び往く時、お前はどんな気持ちでいるのだ?』

 私はこう返そうとする。マティアスに私は空を飛んでいるわけじゃ――

 言葉を呑み込んで、彼の横顔を眺め続ける私が、今ここに居る。
 マティアス方の名を私はこの後の人生において、何度となく叫ぶでしょう。貴方を憎み、
貴方を誹る為、呪いを込めて叫ぶだろう。
 けれどどうか、今だけは許してくれ。
 かつての親しみを込めて名を呼ぶ事を。想いを込めて呼ぶ事を。
 マティアス。親友だった貴方を呼ぶ事を。

 

4 Minciuni si Adevar. <1> 1/132010/09/26() 02:16:53

『永遠の夜』――名を冠するに相応しく、辺境に広がっていた森には朝が訪れる事は無
かった。この地に住まう吸血鬼ヴァルターがその魔力によって朝を退け続けていたからだ。
 生れ落ちた時よりの魔族であるヴァルターは永い年月を生き、時に人の血を吸い、時に
人を弄び、時に自らの手で策を講じ、彼の居である城にて暇潰しのゲームを飽く事無く繰り
返していた。
 だが、吸血鬼ヴァルターが居を構えていた森はもう無い。吸血鬼ヴァルターという存在もまた、
同じく。
 レオンが崩壊する桟橋を駆け抜ければ、覚えの風景は立ち込める土埃によって遮られていた。
 崩れ落ちた城壁が巻き上げる埃より、腕で顔面を護りながらも、油断無く周囲を伺う。
 見通しは悪かったが夜に連なるものの気配が皆無と分かれば、崩壊の余韻が落ち着くの
をじんわりと待った。
 小さな欠片が落ちる音を切欠に、肩越しに振り返る城跡より何者の気配も無い事を知ると、
改めて開いた眼前を見据えた。赤茶けた足場の悪い道のりが薄っすらと靄を纏っている。
 次に見たのは空だ。思わず顔より腕を外して息を呑んだものだから、鼻がこそばゆくなった。
慌てて呼吸を止める。
 見上げる空では、東より太陽が昇っている最中だった。森の尖塔を包み込むよう、薔薇色
の朝焼けが美しく広がっている。
 金色の睫毛を忙しなく上下させる中、色素の薄いソルベントの瞳が、朝の恩恵でぎゅっと
縮こまる痛みが新鮮だった。夜に連なる者達が灯した偽物の光ではない、本当の光が身
に降り注いでいるのだと感じ、自分がどれだけ闇に慣れていたかを知る。
 同時に、屋敷を出て何日が経過したのか改めて考えさせられる。まだ昇り始めのもので
あっても、一日の始まりはレオンの身とこころを軋ませた。
 束の間、薔薇色の空の移り変わりを眺めていたレオンは口唇を引き締めると、握り締め
た拳で舞い散る土埃を払い除け、来た道を戻り始めた。
 リナルドとサラが待つあの小屋。吸血鬼と対峙する為に何度と無く足を踏み入れ、何度と
無く通ったこの道のりを、二度と戻ることも無い。まるで追い縋るよな土埃を厭うようにレオ
ンの足並みは早くなる。

5 Minciuni si Adevar. <1> 2/132010/09/26() 02:17:38

 荒い道は程なくして終わり、剥き出しの大地は鬱蒼とした森の中へ。空に吸い込まれよと
ばかりに伸びた先端達が深緑をして、急に現れた光源にこわごわ、背を伸ばしていた。
 レオンはそっと右腰に携えた鞭へ触れ、一つ大きく息をする。光射す影から森の影へと間
を置かずして滑り込み、今度は歩み続けたまま周囲を伺った。
 視界は相変わらずだったが、太陽の力をして闇の気配はこの地より遠く深くに潜んでし
まったようだ。
 おずおずと木々達が生み出す森林の香りは、太陽に包まれ、次第に無言の喝采となって
レオンの周囲に漂う。彼の居よりも緑が少なく感じる空気は、それでもぬくもり始めた夜気
で、ほのかな水分を伴って彼の身を癒した。
  城に向かう深い森――『永遠の夜』に朝がやって来た。この事実は、森に住まう隠者に
も正しく伝わっているだろう。
 緩やかな下り坂の小道へとレオンは入っていく。急斜を降りれば簡素な小屋が一つ。
勝手しったる場所だと言わんばかりに、歩みを留めずその小屋の戸を無遠慮に開いた。
 小屋の中は最後にレオンが見た通り、相変わらずである。店を意識しているのか、隠者
が作成した武具を並べた戸棚と、これを囲むカウンター内にて、白髪を緩く三つ編みにした
家主が出迎えてくれた。
「戻ったか」
 他に何か言いたげに、しかし口を閉ざす家主を一瞥すると、レオンは咥内で「あぁ…」と
だけ返し、真っ直ぐにカウンターを過ぎっていく。歩みに合わせ、埃がふわ、と、差し込んだ
光の中で舞い続ける。
 覚えのある蝋燭は今やひそりと身を固め、窓からの恩恵に室内は古びた印象を投げか
けて来たが、レオンの歩みを留めるに至らない。
 入り口の真正面にある戸口を開けば、小屋が望む中庭だ。その片隅にひそりと、花輪を
携えた真新しい墓標がある。

6 Minciuni si Adevar. <1> 3/132010/09/26() 02:18:34

 一直線に歩んだ後、レオンはそっと膝を折った。腰に携えていた鞭を外し、両掌で握り締
め、祈る。
 墓標に刻まれた文字は

『―サラ・トラントゥール ここに眠る
 彼女の見る夢が束の間であり 幸せと喜びに満ち溢れん事を―』

 …もう何日、何十日と前になるだろうか。突如としてレオンが統治する領地に現れた怪物
の群れ。領地内の混乱を治めるべく出兵したくとも教会からの許可は得られず、相次ぐ悲報
にひたすら耐え忍ぶ事を強いられた日々。
 そんな中、レオンの親友であるマティアスが報せてくれたのだ。怪物たちを放ったのは
『永遠の森』に潜む吸血鬼ヴァルターであり、許嫁であるサラを攫っていったと。
 十字軍としての遠征が近い時期にあって、騎士として動くには教会の許可が必要であり、
許可が下りないのであれば騎士の称号を捨てる――レオンにとって、元々は領地も男爵と
いう称号も、他者から与えられた飾りに過ぎなかった。
 周囲の反対など目にもくれず、衝動が身を突き動かすままに取るものも持たず単身で
レオンはこの森へ、ヴァルターの城へと侵入したのだ。マティアスに後を託して。
 しかし、様々なものをかなぐり捨てたレオンが彼女を救い出す事は叶わなかった。十八年
という短い生涯を記した彼女、サラは、平凡かつ平和な日々を覆され、恐怖の只中に落と
された最後をこの地で迎えた。
 レオン自身、もっと自分の領土に近い場所へ葬ってやりたかったが、吸血鬼の毒牙に掛
かったとあっては、この地に埋葬するしかなかった。
 サラの亡骸はレオンが領土へ運ぶ事は物理的に不可能な上、彼女の両親がもしも埋葬
を拒否してしまったら。それは何よりも彼女が悲しむだろうと判断したのだ。
 混乱に乗じた誘拐ならばまだ良かった。相手が人間ならば。しかし、攫った相手が吸血鬼
と知れば、サラの両親は無事を願う事を止め、悲嘆に暮れている事だろう…勿論、娘の無
事な姿を見ればその涙も無駄であったが、現実とはレオンの祈りの前にあるよう、吸血鬼
に攫われる事は死と同義なのである。

7 Minciuni si Adevar. <1> 3/132010/09/26() 02:19:13

 尤も、サラの魂は今、レオンの手中にある鞭に封じ込められているので、厳密に言えばこ
の場所はサラの墓所ではないだろう。
 それでも形として。サラの肉体が眠りに付く場所として、レオンは鞭の柄へと額を押し当
て、重い嘆息を吐き出してから呟いた。 
「……サラ。君の仇は討ったよ」
 サラの肉体に牙を突き立て、闇の眷属とせしめた憎き相手、ヴァルターは倒れた。故に朝
が来て、ここにこうして光と影が産まれている。
 しかし穢れた魂…サラの魂を肉体より引き剥がし、封じた鞭は、レオンの手中で今も尚、
静かに震えている。悪きものを倒せと。仮初の朝に目を潰す事無く、闇を見据え続けてこれ
を打ち払え、とレオンに訴えかけている。
 朗らかに微笑む彼女の面影も、小さくても柔らかで、暖かな手指をレオンの頬へ滑らせる
感触も無い。鞭はただ手中にあるべくして収まり、次の獲物を探せと訴えてくるばかり。
 真実の眠りに彼女が着くのは、未だ先の事であると予感させる。
「私には挨拶も無いのか」
 レオンの不意を付いたのは、背後からの声だ。肩越しに見向けば、中庭の半ばで腰に手
を当てて厳つい顔をしている家主の姿。
「あぁ、すまないリナルド……終わらせたよ、一応は」
 そう言って、ゆったりとした動作でレオンは腰を上げた。
 右手に携える鞭へ目を遣り、それからレオンの姿を一瞥したリナルドは鼻を一つ鳴らす
と、
「一応、か」
「ああ……」
 レオンが鞭へ、そして墓標へと目を向けるのをリナルドは暫くじっと眺めていたが、埃まみ
れの髪が一房落ちる頃、行動を促した。
「深くは聞かん。何があったか話せと言うつもりも無い。一先ず休め、眠ってから出立すると
良い。領地へ帰るのだろう?」
「……そのつもりで居る。すまないな、最後まで世話になる」
「最後であれば、良いのだがな」
 肩を竦めて小屋へと入るリナルドを追う前に、レオンは一度だけ墓石を振り返り、目を細
めた。
 生前の彼女とそうしていたように、僅かな間だけ疲れた顔をほころばせる。

8 Minciuni si Adevar. <1> 5/132010/09/26() 02:21:00

 一先ずリカルドが用意してくれた湯を貰い、「遠慮しながら食べろ」とぼやかれた食事、
ワインをある程度飲み込んだ所で、レオンは意識を失った。
 極度の緊張感と疲労、それからやっと訪れた安堵感が睡魔へと姿を変えてレオンを襲っ
たのだ。
 最後の肉片を咀嚼した後あえなく皿へと頭を落とし、遠くでリナルドのぼやきがあった
ような無かったような…曖昧の世界へ雪崩れ込む。


 次に目を覚ました時、レオンは騎士団の制服を纏って、草原の只中に居た。腹はくちく、
ともすれば再び舞い落ちそうな瞼を何度か擦り上げてみる。ローブ下に纏った鎖帷子が
じりじり鳴いた。
 見渡す中に武具の類は見当たらなかった。ただ叢へと無造作に寝転がり、胸いっぱいに
草原の香りを満たすと、空風に舞う前髪が目元へ掛かってきた。尖らせる口でこれを吹き
上げ、ぼんやりと天を眺め続ける。
 のんびりと雲が浅瀬を泳いでゆく、なんとも良い天気ではないか。どこかで雲雀も歌って
いる。
 頭上遠くでは団員達が打ち合っているらしく、喧騒が心地良く流れてくる中、近付いて来
た足音にレオンは気付き、顎を上げた。
 逆さまの世界で、叢を踏みしめてやってくる人物に対して微笑みかける。
「マティアス」
「昼寝とは随分暢気な事だ、レオン。試合も近いと言うのに」
「私の今日の出番は終わったようなものだよ。大体、ジョストはつまらないんだ……相手が
居ない。それに、今は昼前だから朝寝だ。昼寝とはつまり、昼食後に取るもの、違うかい?」
「またそのような事を……」
 すらすらとレオンの口から流れる言い訳めいた言葉をして、呆れよりも純粋に笑いがこみ
上げたのだろう。マティアスとレオンが呼んだ彼は、静かに肩を笑わせると、傍らに腰を落
ち着けて来た。
 深い青を思わせる黒髪を風に遊ばせるマティアスは、騎士団が抱える戦術家だった。
レオンと親しく話しているが、実際の年齢差は十もある上、爵位も異なる。
 それでも彼らは親友と互いを呼ぶ間柄であり、二人が肩を並べる騎士団を『常勝』と謂わ
しめる不可欠な存在だった。

9 Minciuni si Adevar. <1> 6/132010/09/26() 02:22:21

「次の馬上槍試合では色々試したい。一人で走らないようにな、皆はお前についていってし
まうから」
「団結力があって喜ばしいじゃないか」
「そう思うならば、せめて統制してくれ。あれでは生身のクロスボウだ。負傷者はなるべく
出したくない」
「クロスボウか! それはいい、なんとも力強い……」
 声を上げて笑うレオンだったが、頭上よりの冷ややかな視線を受けて口を引き締めた。
 クロスボウは弓と異なり、筋力がない者でも使える中々に強力な武具だが、生憎と矢の
装着に時間が掛かる代物である。
 馬上槍試合と呼ばれる実戦さながらの場において。しかも、真っ先に馬を駆けさせ周囲
の敵を蹴散らすレオンへと付随する者達がその有様では、味方側に多数の負傷者を出す
のは当然であり、むしろ死者が出ない事が驚きである。
 お互いの捕虜目的で彼らは群がり、気付けば乱戦となっている事がしばしばあった。そこ
に当初の予定なる言葉は存在しない。
 思い至るまでの間、頬を掻いたり視線を彷徨わせたりとしていたレオンだったが、やがて
小さな声で「すまない」と呟いた。
「こちらを向け、レオン」
 斜に空を仰いでいたレオンに向けて、マティアスの優しい声がかける。瞳を転がせば穏
やかな顔をした彼が見詰めていた。
「約束をして欲しい。一人で走らないと。それは何も、お前に戦うなと言っているわけじゃな
い。お前を狙う相手が多いからこその判断だと、私は知っている。
 だがこの前の試合で囲まれた際に負傷した事を覚えているか? まだ掠り傷程度で済ん
だものの、乱戦になっていたあの時は本当に胸が冷えた。
 肝心のお前が落馬でもして、それこそ命を落としたら。私や、サラが。お前を失って悲しま
ないとでも?」
 ひたりと目を合わせて語り掛けられればレオンに否は言えない。ましてや許嫁であるサラ
の名前まで出されているのだ。脳裏にマティアスが悲嘆する姿と、幼さを残す娘の…未だ
見ない泣き顔を思い浮かべ、レオンは身を起こす。身を覆う鎖帷子が重々しい音を立てる
が、動きは俊敏なものだ。
 肩を並べてみようとも、マティアスには若干届かなかったが構わない。常、見上げている
風に見詰め返して微笑む。

10 Minciuni si Adevar. <1> 7/132010/09/26() 02:23:20

「約束する。マティアス、貴方を……皆を悲しませるような事はしない。捕虜目当てに一人
で走らないし、ケガもしない、落馬に至ってはするはずが無いだろう?
 ただ貴方の目と声が届く場所で、貴方の命じるままに」
「目の届く所に居ろ、とは言っていないな。むしろお前には動いていて欲しいくらいだ、私達
が連れ添い固まっていては、格好の餌食だろう」
「……走るなと言ったり動けと言ったり。我が戦術家殿は大変なワガママでいらっしゃる!」
「そうだな、私はわがままだ。だが私のわがままに応えてくれるのは、いつだって君だけだ
よ、レオン」
 マティアスの低い笑い声に押され、レオンは再び叢へと転がった。形ばかりで口唇を尖ら
せてみるが、その様さえ年上の男には微笑ましく映るらしい。
 教会が定める敵と戦うまでの束の間、彼らはこうして語り合うのを快く思っている。いや、
マティアスが思っている事はレオンには分からないけれど、二人の間に穏やかな時間が流
れているのを肌で感じれば、あとは自ずとだ。
 戦いの場において剣を持ち戦う役目はレオンが。知識を以ってレオンを始めとするを騎士
達支えるのがマティアスの役目。
 しかし戦が好きかと尋ねられると、レオンは首を捻るだろう。
 騎士で在る事と戦いを好む事は別だ。確かに現在、騎士とは教会の尖兵であり、神の平
和を護るものだが、争いが無ければ本当はそれが一番だと思う。特に騎士達は遠征の度
に村や住人を襲ったりする事がある。戦略だと言われてもレオンはこの行為が好きではな
かった。
 だが試合を始めとして剣を向け合い戦う以上、全力を以って対峙するのが相手への礼で
あると信じている。
 マティアスはどうだろうか。戦が好きなのだろうか。
 ふと擡げた疑問を後押しするように、遠くの喧騒が一際大きくなった。誰かが足でも転ば
せたのだろう、野次が混じっている。
 …いいや、聞かずとも分かる。マティアスは決して戦が好きなのではない。彼が考えた戦
術を生かすには、白黒盤を使うゲームでも代用が利く。
 マティアスが知略を披露するのは他でもない、実際に剣をぶつけ合うレオン筆頭とした騎
士達の為、ひいては騎士団の為なのだ。なるべく血を流す事が少なくて済むよう、日夜新し
い戦略を練っているのを、レオンはそれとなく知っている。

11 Minciuni si Adevar. <1> 8/132010/09/26() 02:24:25

 季節を謡い、空を飛ぶ雲雀の影を追うレオンの視線はマティアスの横顔にぶつかった。
 密かに伺うマティアスの横顔は美しく穏やかで、レオンのこころを密かに満足させた。
生憎と教養が少ない為に彼を表現する言葉が思い当たらず歯痒いのだが、彼は孤高であり、
穏やかな湖のような人物だと。黒く長い髪、すらりとした長身も正直羨望せずには居られない。
 マティアスの横顔を眺めつつ、風に揺れ踊る叢が頬を痛ませる。指を伸ばせば己のまる
まった毛先だと知れてレオンは人知れず落胆した。
 そんな隣人を他所に、マティアスは雲よりも遠いどこかを覗き込んでいる。
 数年前に結婚し妻帯者となっているマティアスだが、夫人にも見せた事の無い表情があ
り、それを自分だけが知っている、と言うのもレオンの気持ちを満足させる。
 遠くを見詰める深い色した瞳は、こころを許した者にだけ彼が垣間見せるものの一つだ。
憂い気な顔なぞ、愛妻家でもあるマティアスが家で披露する筈が無い。
 満足げに傍らで寝転がり続けるレオンが足を組むと、マティアスの肩より一房、黒髪が落
ちた。
 薄く微笑んだマティアスと目が合い、レオンは眉を跳ねさせる。
「良い天気だ」
「……そうだな、昼寝にはもってこいだ」
「まだ寝るつもりなのか、レオン。それに今は朝寝じゃなかったのか?」
「ああその通り、今は朝寝だな。だが、昼寝もするって事さ…今日の昼食は何のスープだろう。
良い香りがここまで来ている…これは良い夢が見られそうだ」
「それでは私は、昼寝するお前を見つけて、チェスの一つでも吹っかけてやろう」
「……全力で逃げ」
「逃げても構わないぞ? だが、私の手から逃れられると思わない事だ、レオン=ベルモンド男爵。
 貴公がこの手の勝負で私から逃げようとした過去幾度、全て逃げ切れなかった事実を覆
したいのならば、今度こそ全力で逃げたまえ」
 レオンが眉を顰めるのを、マティアスは楽しそうに見下ろしている。
 過去数度と無く二人はこのような遣り取りをしてきており、今日もその一例に過ぎない。

12 Minciuni si Adevar. <1> 9/132010/09/26() 02:25:03

 ある時は茂みに。ある時は高い木の頂上近くに。またある時は台所の影に潜み、夢にま
どろむレオンをマティアスは悉く見付けていく。他の誰がレオン探索に励んでも見付けられ
ないと言うのに、いとも容易く見付けてしまうのだ。
 お陰様で、レオンが不在と気付いた騎士達が、マティアスの元へおずおずと尋ねて来る
のが定番化している。躊躇いがちな声を聞いただけでそれと知れるほど。特に食事直後は。
 レオンの名誉の為に言えば、それは毎日ではない。彼の息抜きは騎士達の息抜きでもある。
笑みを絶やさず楽しそうに剣を振り続けられる相手からすると、レオンが居ない時は束の
間の平穏である。例えば、後ろの歓声のように。
 しかし、いかな騎士団を率いる高名な存在とは言え、あまりにも長く集団から離れれば、
人のこころからも離れるものだ。今現在、騎士団に居る誰もがレオンの相手として不足して
いる事、歳若くして領主となった事に嫉妬や妬みを向ける者が居る事は、水面下でも周知
の事実だった。
 勿論レオンの周囲には気の置ける仲間…それこそ、盾仲間と呼ばれるレオンと同時期に
騎士となった者達も存在し、彼に憧れる騎士も少なからず居る。だが人の腹奥など誰にも
分からないものだ。
 剣ではなく人に傷つけられる傷が深まると、レオンが集団からふと抜け出してしまうのは
度々あった。誰しも持つ、一人になりたい時間、と言うものだ。悪いのは一言も告げずにふ
らりと消えてしまう癖だが、不思議な事にマティアスがこれを指摘した事は一度も無かった。
 故にマティアスはレオンが抜け出し、騎士達が困惑気味に尋ねてくる度に、まるで子供じ
みたかくれんぼの鬼を勤める。
 剣では相手が出来なくとも、知識では先ずレオンはマティアスに勝てない。
 せっかく隠れて寝入った所を見付けられた悔しさと、集団の場ヘ連れ戻される悔しさから
か、レオンの剣はますます磨きをかける。騎士達にとってはたまったものではないが、それ
はそれ、レオンの剣戟に己の手を止め、輪を作っては見物するのだ。
 そしてマティアスも感嘆の声を上げる事で、彼らは密かに認め合う。
 まるで幼馴染の延長にでも居るかのような居心地の良さは、出会って数年の隙間を難な
く埋め込み、見詰め合う瞳で語り合う術を身に着けさせた。
 降参、と手を挙げたのはレオンだ。
「今日の昼寝は諦めるよ」
「是非そうしてくれたまえ。私も少々忙しいんだ……君のお守りをする余裕は、あるがね」
 ぐぅの音も出やしない。
 悪気無く言い放たれ、その上微笑まれてしまえばレオンはもう、背中を見せて丸まるしか
抵抗できない。ぎゅっと瞑った瞼は薄い色の空を透かしている。
 不貞腐れた子供同然の様を見て、またマティアスが喉を笑わせた。低くくぐもってはいた
が、彼が本当に笑っているのだと感じられ、少しだけレオンの気分は浮上した。

13 Minciuni si Adevar. <1> 10/132010/09/26() 02:27:48



 次に瞼を開けば、茶けた天井があった。僅かに滲み、ぼやける焦点を合わせると、見慣
れ始めた室内が現れ始める。
 青空も澄んだ空気も見当たらない。埃っぽい、薬品と金属類がかもしだす香りの中、レオ
ンが体を起こすと、節々が痛みを訴えてくる。鎖帷子で慣れたものとは違うし、ベッドのもの
とも、ましてや草原の寝床とも違う無機質の硬さによって。
 頬に張り付いていた髪を落としながら目を瞬かせると、リナルドが常佇んでいたカウン
ターがあり、本人が凭れ掛かってこちらを見ていた。
「悪いが、運べなかった」
 言われ、レオンが身じろげば固い毛布が傍らで音を立てる。うろうろと埃が散乱する床を
視線で這ってゆけば、なるほど、テーブルと椅子の脚が足先にあった。
 白と赤が織り成す外套と鞭も。レオンが使用していた椅子の背凭れにそれぞれ掛けられ
ていた。
「……私、は」
 思ったよりも声が喉に引っかかる。痛みさえ覚えてレオンは首元を摩った。
「食事で緊張が解けたのだろう。そのまま寝落ちてしまったよ。起こしてもびくともせんから
な、そのまま転がしておいた」
 覚えている最後を辿ると夢は急速に色を無くす。食事をした以降がふっつり途切れ、あぁ
椅子から落ちたのか、とかみ殺す欠伸で納得した。
「……そうか。それは、すまなかった」
「何か飲むか。とは言ってもワインと果実酒しかないが」
「いや。……そうだな、ワインを」
 のろのろと身を起こし、転がり落ちたらしい椅子に腰掛ける間で、隣室からリナルドが革
袋を持ち出してくる。二つの革袋がテーブルに置かれ、その内一つを拾い上げた。
「ゆっくり飲め」
 栓を抜き、朝のまま置かれたカップへ注がれる液体を前に、レオンはゆったりと周囲を見
回した。開かれた戸口からは明るい色に彩られた森の姿がある。
 リナルドが席に着き、勧めるままカップの半分程を満たしたワインを一気に煽ると、喉を
焼いて臓腑へと落ちていく。思いがけない強襲にレオンはカップを手に何度か咽た。
「馬鹿、ゆっくり飲めと言っただろう! 寝起きで煽る奴があるか!」
「す、すまっ……、ッ……!」
 一頻り咳を溢して改めて大きな呼吸をすると、倒れたままの形で寝ていたらしい体が痛んだ。
「すまない……ところでリナルド、私はどれほど眠っていたんだ」
「三刻と言ったところか」

14 Minciuni si Adevar. <1> 11/132010/09/26() 02:29:19

 ならば夕暮れまで残り二刻といった所だろう。目尻に滲んだ涙を拭い、レオンはもう一度
戸口を見る。床へ差し込む明るさは朝の比ではないが、少しずつ太陽が移動しているのは
分かった。
 カップの底に残るワインを流し込み、次をくれとリナルドへ視線で訴える。睨み返されたと
しても挫けず、行儀悪くカップを鳴らしてみせた。
「これを飲んだら出立する。すまないが、その、ワインか果実酒を少し、分けてくれると助かる」
「食料はどうする」
「……道すがら、獣でも狩るさ」
「生憎だがこの辺りに自生している獣は殆ど居ないぞ。パンを分けてやる、持っていけ」
「パンか……ん? リナルドが焼いたのか?」
「まさか。二度焼きしたものに決まっているだろう」
 レオンの潜められた眉へと鼻息を溢し、リナルドは手にしていた革袋をカップへと傾け、
中身を注いだ。
「生憎とワインも果実酒も数が少ない。だが蒸留水ならばあるぞ、雨水を濯いでやったものだ、
その辺の水とはわけが違う。錬金術のものだ。それで良ければ幾らでも持って行け。
 ただし、腐るのが早いものだから……そうさな、二日もてば良い方だろう。三日目になった
ら残りは捨てて行くんだぞ」
「分かった。三日目までに飲み切ってしまおう」
 頷くレオンがそのままカップを口へ付けるのを、リナルドは眉を寄せたまま見詰める。
疑いなく喉を鳴らし飲み干す様は、見ていて爽快なほどあっさりとしている。
 いや、し過ぎている風に思える。
 あえて何も言わず、気付かぬ振りをしているのか、それとも澄ました顔をして聞き流して
いるのか。カップを口元に明後日の方向をぼんやりと見守るレオンの顔からは、どちらも伺
えなかった。
「……まぁいい。分かった。しかし領地へはどのくらいかかるんだ」
「馬で半月ほどだろうか。行きは急くあまりに馬が途中で倒れてしまったからな……徒歩で
は、そうだな、一月でも見積もっておこうか。
 この辺に村が無いのは分かっている、だから一番最後に立ち寄った村までは急ぎ足だな」
 そう、『永遠の夜』があるこの付近に村や集落などは無い。誰が好きこのんで吸血鬼の潜
む近くに住まうだろう。レオンが応える先、真面目な顔をして深く息を吸い込むリナルドが特
別なのだ。

15 Minciuni si Adevar. <1> 12/132010/09/26() 02:30:46

「水は。さしあたって食料は良いが、近くの村にたどり着くまで人の足で七日はかかるだろう」
「急ぎ足ならば何とかなる。それに、水が無くとも数日は生き延びられる……私一人生きて
いくならば、何とでも、どうとでもなるものだ」
 淡々と応えるレオンの眼は真っ直ぐにリナルドを見詰め返す。
 初めて見えた時と何も変わらない、この場へ訪れたレオンは胸に一つの焔を抱いており、
この場を去るレオンもまた、色を変えた焔を抱いている。
 今は薄くある小さな背丈。しかし高熱の焔を。
 肩の力をふっと抜き、椅子の背凭れへと身を投げたリナルドは、諦めたかのように呟いた。
「やれやれ、ここへ来た時も何の武器も持たず単身だったのには驚かされたが、ここから去
る時も似たようなものとはな」
「そう簡単には変えられないものらしい。潔く諦めてくれ」
「諦める? 違うな、呆れると言った方が正しい」
 乾いた笑いを受けながら、レオンも苦笑を返そうとした。口端がぎこちなく動いて粘ついた
喉が震えるだけの、何とも不恰好な笑みは直ぐに消える。
 一人ならば何とでもなる。今まで一人で生きてきて、その内周囲に人が集まってきた。
知らずしらずに他人の命を肩へ乗せ、駆けていた。傍らで肩を並べる相手が出来た。
一時的なものとしても、今また一人になってしまった事実。
 暖かな人と触れ合っていると臆病になりがちるものだ。
 席を立つリナルドを目で追いかければ、カウンター内部へ手を伸ばし、彼は一つかみの
皮袋を取り出して見せた。掌ほどの大きさで、紐で軽く括ってある。腰に帯びても邪魔には
ならないだろう。
「ビスキュイだ。お前ならそのまま食べても大丈夫そうだな」
「疲れるが、食べれない事は無い。感謝する」
「……食べた事があるのか」
「あぁ。どんな食べ物なのか興味があって。しかし随分と硬いものだから、あの時は暫く口
が痛かった。私としてはポタージュに浸して食べる方が好みだが……リナルド、どうした。
険しい顔をして」
「お前は本当に頑丈だな……」
「? 当然だろう、騎士たるものとして鍛錬は怠った事が無い」
 何も言わず、リナルドはテーブル上で転がる二つの革袋、その内の一つをつついた。

16 Minciuni si Adevar. <1> 13/132010/09/26() 02:33:29

 革袋とリナルドの顔を交互に見遣ったレオンが席を立てば、鼻息と共にビスキュイの入っ
た袋が投げ渡される。
 外套を纏い、餞別を腰へ帯びた後、レオンは一言のみ呟いた。
「感謝する」
 常、リナルドの小屋へ訪れて用件を済ませた後と変わらない言葉が、埃と共に落ちていく。
 むっつりとした顔で腕を組み、レオンを見詰めるリナルドから答えは無かった。ぴん、と張
り詰めた空気の中、鞭を携え戸口へ向ければ、歩み始めた姿を見送られていると知る。
 止める声も餞別の言葉も無い。笑みの消えた室内から外へ出る際、背後から声が掛かっ
たが、レオンは振り向かなかった。
「レオン=ベルモンド。礼を言わせてくれ。仇を討ってくれた、その礼を」
 五年間、仇と呼ぶ相手の膝元でリナルドは戦士を待ち続けていた。一度は赴き死闘を繰
り広げた城の主…娘の魂を汚し、家族を失わせた相手を討ってくれる戦士を。
 何人もの戦士が吸血鬼に戦いを挑み破れる様を、彼は見守るしかなかった。レオンがこ
の森へ足を踏み入れた際、倒れた者の武具を借り受ける、と叫んだよう、リナルドもまた叫んだ。
 吸血鬼を倒すには力が要るのだと。
 リナルドの作った鞭は今、レオンの傍らに在る。
「……私だけの力じゃない」
 搾り出した喉の奥。レオンが知らず握り締める手の内。鈍い音を立てる鞭はリナルドが居
なければ作り出される事は無かった。婚約者サラの命を奪ったとしても、この鞭があればこ
そ、二人は本懐を遂げる事が出来たのだ。
 光差す外の世界はレオンを優しく見守ってくれている。胸に鞭を抱き、天を仰いだ。森の
木々からの隙間、差し込む光はソルベントの瞳から色を奪っていく代わり、痛みと言う名の
優しさを注いでくれる。
「……ヴァルターを討ったのはあなたの力でもある。礼を言われる覚えは無いし、私こそが
礼を言わねばならない立場だ」
「そうか。ならばもう、何も言うまい」
 いつぞやかリナルドの過去を聞かせて貰った時、レオンは確かに騎士として勤めを果た
すと応えた。彼の悲しみや苦しみを抱いて、共に戦うと。
 彼らは揃って戦場に立つ事はなかったけれども、同じ志をして戦ってきた。
 戸口を出、森の道へ戻る斜面に足を踏み込む前に、一度だけレオンは振り返る。
 小屋の中からリナルドが顔を覗かせているわけではない。だが確かに人の気配がする場
所に向け、右腕で作る騎士の礼をした。
 それから小屋の中庭にて眠る女性を想い、鞭を強く握り締める。
 二度と会う事は叶わないだろう。それでも彼らは共に歩み続けていくのだと、レオンは踵
を返した。
 ここへ踏み込んだ時、レオンは侵入者だったが、これから先は違うのだ。


『ヴァンパイアハンター』……夜に連なるものたちを狩る一族、その始祖としての第一歩は、
別離から始まった。