曲 黄昏のカデンツァ番外編

 

138 名前:小夜曲 1/14 投稿日: 2007/03/01() 00:05:04

「何も考えなくていいんだ」
 とラルフ・C・ベルモンドは言った。
「いつも俺がやっているとおりのことをしてくれればいい。できるだろう? 毎晩俺がやってる
ことを、ちゃんと覚えていれば」
 アルカードの頬がうっすらと赤く染まったが、返事はなかった。
 二人とも裸体で、ベッドの上で向かいあい、脱ぎ捨てた服は床の上でからまりあっていた。
アルカードはラルフの足の間にうずくまり、じっと視線を落としている。いつもは消される明かりは、
ラルフの強硬な主張で、今夜はあかあかと灯されたままだった。
 なめらかな白い肌に、蝋燭の明かりが真珠色に映えるのをラルフはほれぼれと眺めた。いつも
相手に言っていることを、今度は自分が言われる気分というのはどういうものだろう、と
考えると、さらに愉快だった。
『私が毎回やっていることをちゃんと覚えていれば、間違いなくできるはずだ』。
 そう、間違いなく覚えていたからこそ、ラルフはちゃんとできたのだし、その結果こういう事に
なったのはアルカードが言い出したことであって、ラルフのせいではない。
 発端は、ラルフの語学の勉強があまりに進まないことに業を煮やしたアルカードが、「書き取りの中
で綴りか、文法の間違いが三つ以下になったら、なんでも言うことを聞いてやる」と約束した
ことからだった。
 それを耳にしたとたん、ラルフのやる気は俄然盛りあがり、今日の学習で、とうとう綴りの間違いも
文法の間違いもひとつもなしに、課題を仕上げることができたのである。
 ラルフは意気揚々とアルカードに約束の履行を迫り、アルカードも、内心はどう思っていたにせよ、自分が
口に出したことを今さら翻すほど不正直ではなかった。嬉しさを隠しきれないラルフを部屋に迎えたと
きもさほどの動揺はあらわさなかったし、服を脱いで寝台にあがれと言われたときも、別に文句も
言わずに従った。
 しかし、それから先、どういうことをやらされるかは考えていなかったようだ。

139 名前:小夜曲 2/14 投稿日: 2007/03/01() 00:06:12

「さあ、やってみろ」
 ラルフはくり返した。
「全部は入らなければ、入る分だけでいい。少しずつでいいんだ、手を伸ばして、さわってみろ。
先のところにキスしてみてくれ。俺がいつもやってることだろうが?」
 アルカードはもう一度だけちらりと視線を投げると、黙ってかがみ込み、すでになかば頭をもたげて
いるラルフの雄に、おそるおそるといった様子で触れた。
「両手で包みこむようにするんだ……そう、それから、唇に……少しずつでいい、まだたっぷり
時間はあるんだからな……復習する時間だってある」
 からかうようなラルフの言葉に、アルカードは一瞬きっと眦をあげてラルフを見あげたが、結局これも自分
が招いたことだと観念したらしい。
 おとなしく身をかがめ、細い指で、熱く脈打つ肉の槍をおずおずと包みこんだ。体温の低い
アルカードの、ひやりと冷たい指の感触に、早くも戦慄にも似た快感がラルフの背筋を駆けあがった。
「舐めてみろ」
 自分の声がかすれるのがわかった。
「いつもやっている──して貰っていることだろう? たまには自分でやってみるんだ」
 アルカードはしばらくためらっていたが、言われたとおり、固く反り返ったものの先端に唇をあて、
ためらいがちにちろりと舐めた。濡れた舌の感触が心臓を直撃し、鼓動が急上昇するのをラルフは感じた。
「くわえろ」愛しさと征服欲の入りまじった欲情に胸を轟かせながら、ラルフは命じた。
「口を開けて、中に入れるんだ。舐めてるところを見せてくれ」
 アルカードはかすかに頬を震わせたが、従った。小さな口をせいいっぱい開き、腹を叩かんばかりに
反り返ったラルフ自身をくわえ込む。
 とうてい全部を呑みこむことはできず、ほんの先端部分を口に入れただけにすぎなかったが、
それでも苦しげに眉根が寄り、目を固く瞑るのを見て、ラルフは自分の中の雄の部分が激しく刺激
されるのを感じた。

140 名前:小夜曲 3/14 投稿日: 2007/03/01() 00:06:47

 思わず腰を動かして軽く突きあげると、喉の奥を突かれたアルカードは、小さくむせてくわえたもの
を吐き出した。わずかに涙のにじんだ目で責めるように見あげられると、かえって嗜虐の与える
後ろ暗い歓びが増した。
「どうした、まだちょっと先を口に入れただけだぞ? 俺はもっと、いろいろなことをしてやって
いただろう? おまえだって、さんざん悦んでいただろうに」
「それは──……」
 アルカードは反論しようとしたようだったが、毎晩、自分がラルフに同じことをされてどんな嬌態を
見せているか思い出したらしい。ふたたび俯き、髪で顔を隠した。かすかに見える耳の端が、
羞恥と怒り、それにおそらくは昂奮で、薔薇色に染まっている。
「さあ、続けろ。まだちょっと先を口に入れただけだろう?」
 垂らした髪で顔を隠したまま、アルカードはふたたび身をかがめた。
 全部を口に入れるのはあきらめたようで、先端部分を含んで吸ったり、胴の部分を横からくわえて
舌を走らせたりと、必死に言われたとおりにしようとしている。
 いかにもたどたどしい、技巧も何もない幼い奉仕だったが、それがまた性感を煽る。やわらかな
舌と唇にまじって、とがった歯の先が敏感な部分をときおりかすめるのが、ぞくぞくする快感を
もたらした。
 手を伸ばし、垂れた髪をかき上げて顔をあらわにする。額に触れられて、アルカードはびくっと身を
縮めたが、そんなことにかまう余裕はもうとうにないようだった。細い指を肉の塔に添え、懸命に
舐め、しゃぶり、ピンクの舌をちろちろと覗かせて奉仕に専念している。荒くなった呼吸が、熱く
ラルフの内股に触れた。
 長い睫毛のかげの瞳が、ラルフと同じく欲情に煙りはじめている。いつもきちんと引き結ばれ、
おだやかな短い言葉しか発しない形のいい唇が、自分の欲望をくわえこんで懸命に動いているのを
目にしたとたん、意に反してラルフは、低い声をあげて達していた。

141 名前:小夜曲 4/14 投稿日: 2007/03/01() 00:07:18

「───っ」
 口を離して、アルカードははげしくむせた。ちょうど先端を口に入れかけていたところで、まともに
口からあごにかけてぶちまけられることになったのだった。
「すまない」
 不明瞭な声でアルカードは言って、したたる白い滴をぬぐおうとした。
「上手くできなくて──呑みこめなかった──ラルフはいつも呑んでくれるのに」
「待て」
 口をこすろうとするアルカードの手を、腕を握ってラルフは止めた。
 そのまま、ゆっくり押し倒す。滴はあごを伝い、胸から腹に至るまで飛び散っていた。
「ラ、ラルフ……?」
 上にのしかかったまま頭を下げていくラルフに、アルカードがとまどった声をあげる。
「──あ」
 臍のすぐそばに飛んだ滴を舐め取られて、かすかな声をあげた。
「ラ、ラルフ? 待って」
 あわてたように抑えにかかる手を軽く払いのけて、ラルフは、アルカードの肌に飛び散った自分の精を、
一滴ずつじっくりと舐め取っていく。
「あ、ラル、──フ」
 うっすらと筋肉の載った平らな腹から、なだらかな胸へとラルフの舌がすべっていくたびに、なめら
かな肌が大きく波打った。声をあげまいと歯を食いしばり、シーツを握りしめて顔をそむけている
恋人に、ラルフは胸苦しいほどの愛情と昂奮を覚えた。
 尖った乳首の上に乗った一滴を軽く舐めとる──わざと乳首そのものには触れず、舌先をわずか
にかすめるだけにする。こわばった全身がびくりと跳ねる。ラルフは身体をずり上げてぴたりと身体を
合わせ、鎖骨のくぼみや、首筋、うなじに軽く歯をあてながら、丹念に残った汚れをぬぐい取って
いった。

142 名前:小夜曲 5/14 投稿日: 2007/03/01() 00:07:54

 しかし、たったひとつの場所には触れない。アルカードが羞恥と快感に怯えながらも待ちかまえて
いることはわかっていたが、もっとこの愛らしい肢体の慄えるさまを味わっていたかった。太腿に、
すっかり熱を帯びたアルカードの性器が触れてくる。
「あ……あ……ラルフ……、ラルフ……」
「どこだ?」
 囁いて、そっと耳に歯をあてる。首も、胸も、頬やあごまですっかり清めつくしたあげく、残って
いるのはあとたった一箇所しかない。
「どこをきれいにしてほしい? 教えてくれなければ、わからないな」
 いじわるく囁かれて、アルカードは閉じた目を一瞬開けてラルフを睨もうとしたが、じきにその目は
力なく閉じられた。
「く……ち、を」
 濡れた唇で、あえぐようにそう答えた。
「く、ちを……唇、を」
「唇を?」
 両手で小さな顔を包みこみながら、舌先でつと相手の唇をかすめる。小さく息をのむ音が聞こえた。
「──キス、を──……」
 それ以上は焦らさずに、ラルフは深く唇を重ねてアルカードをベッドに沈めた。
 こちらが吸うまでもなく、熱を持った舌が小さな魚のように性急にすべり込み、絡みついてくる。
自分の放ったものの苦みを舌先に感じながらも、ラルフは、夢中ですがりついてくるアルカードのキスの
甘さを存分に楽しんだ。
 片手で髪を撫でてやりながら、もう片方の手を、そっと下腹へ滑らせていく。張りつめたものを
包みこんでやると、はっと全身をこわばらせるのがわかった。軽く二、三度扱いてやっただけで、
小さく身震いしてアルカードは爆ぜた。

143 名前:小夜曲 6/14 投稿日: 2007/03/01() 00:08:25

「あのままじゃ、少し苦しそうだったからな。……少しは楽か?」
 唇を離して、囁いてやる。アルカードは答えず、ほどいた腕で顔を隠してなんとか呼吸を整えようと
していた。ラルフは苦笑し、あらためて、ぐいとアルカードを抱き寄せた。
「あ、ま、……って」
 抗おうとした声はたちまち途切れる。ぴったりと抱き寄せたラルフが、濡れた指をアルカードの後ろに
挿しいれ、ゆっくり抜き差しをはじめたからだった。
「わかるか?」
 息を殺してラルフは囁く。
「さっきおまえが舐めていてくれていた奴が……ここに入る……こんな風に動く。ここをこうして
……突きあげて……ここに当たる。こんな風に」
 ひ、と悲鳴を喉でかみ殺す声が漏れた。
 ラルフの指が中の一点を強く突きあげたと同時に、強く腰を押しつけて、すでに最前の勢いを取り
もどしたものをアルカードの腹に押しつけたのだ。その熱も、形も大きさも、しっかりと伝わったはず
だった。先ほど口にしていた固いものの熱さと大きさが、否応なしにアルカードの脳裏を支配している
はずだった。
 アルカードの呼吸がせっぱ詰まって浅く、早くなる。中に入れた指が、物欲しげに強く食いしめられる
のを感じた。
「欲しいか?」中に入れた指を二本に増やしながら、ラルフは尋ねた。
「欲しいか、と訊いてるんだ」
 紅く染まった頬が、さらに薔薇色を濃くする。息をするのもやっとの様子で、アルカードは二、三度
小さく喉を動かし、ようやくわずかに頭を上下させた。
「よし」
 指を引き抜き、喉を鳴らして喘ぐアルカードを、いったん片手で抱きあげる。
 それから自分が仰向けに横になり、抵抗する力もないアルカードを腰の上にのせて、足を開かせて
馬乗りにさせた。

144 名前:小夜曲 7/14 投稿日: 2007/03/01() 00:08:58

「ラルフ……?」
 わずかに正気を取りもどしたアルカードが、愕然とした視線を向ける。
「自分で入れて、好きなように動いてみろ」
 上半身を枕にあずけながら、ラルフは命令した。
「さっきよく解してやったから、できるだろう? 倒れないように支えてやるから」
「…………っ」
 自分で男を受け入れ、動いてみろ、という屈辱的な要求に、アルカードの目が一瞬金色にきらめいた。
反駁しようと口を開けかけたが、それに覆いかぶさるように、
「何でもいうことを聞いてくれるんだろう?」
 ラルフの言葉が、すべての反論を封じた。アルカードは金色のちらつく瞳に涙をにじませてしばらくラルフ
を睨みつけていたが、やがてあきらめたように視線を落とし、腰を浮かせて、おずおずとラルフの腰を
手探りした。
「そこじゃない……もう少し前だ。そう。ほら、こうして……そのまままっすぐ腰を降ろせ。そう。
そうだ」
「で、き、ない……」
 荒い呼吸の下から、ようやくアルカードが声をしぼり出す。いくら解したあととはいえ、ラルフの逞しい
ものは、アルカードのきゃしゃな身体にとってはそう簡単に受け入れられるようなものではないのだ。
「そんなことはないだろう。息を吐いて、力を抜け。いつもやっているとおりにすればいいんだ。
そう。そう。そうだ……」
 震える細い腰に手を添えて、崩れないように導いてやる。導かれるままアルカードはじりじりと腰を
落としていき、やがて、ラルフの下腹にまたがる形でぴったりと密着した。
「ほら、全部入った。……さあ、あとは自分で動くんだ。気持ちいい場所はわかっているだろうな?」
「……む、りだ……」

145 名前:小夜曲 8/14 投稿日: 2007/03/01() 00:09:44

 答えはほとんど喘ぎに近かった。ラルフの熱をすべて体内に呑みこんで、アルカードは身じろぎひとつ
できないようだ。少しでも身体を動かそうとすると、常よりずっと深々と打ち込まれた肉の楔が、
まるで予想もしていない場所を刺激して、息がとまる。
「無理じゃないだろう。──ほら」
 ラルフが軽く一度腰を突きあげると、アルカードはひっと喉を鳴らしてのけぞった。深々と埋め込まれた
ものが弱い場所を鋭くえぐったらしい。
「動かないと、いつまでもこのままだぞ? それとも俺に、一晩中ずっとこの眺めを堪能させて
くれるのか。まあ、それも悪くないがな」
 にやりとしたラルフの顔で、アルカードは、男を受け入れているときの自分の姿を、今夜は完全にラルフに
見られているのだということに、ようやく気づいたようだった。
 ただでさえ紅い頬に、さらに濃い朱が散った。青い目は、もうほとんど金色に近い。闇の血を
受けた者の怒りが、視線となってちりちりとラルフを焼く。
 だがそれも、今のラルフにとっては危険な快楽のひとつだった。怒り狂うしなやかな豹を抱いている
ようだ。たとえ喉を食い破られても、今この一瞬と引き替えにするのなら命など惜しくない、と
思った。
「さあ、動け」
 圧倒的な歓びに目眩すら覚えながら、ラルフは命じた。
「ゆっくり、少しずつでいいから、動いてみろ。急がなくていい。おまえのいちばん綺麗な姿を
俺に見せてくれ、アルカード、──俺の、アドリアン」
 アルカードの瞳が、揺れた。
 燃え上がる黄金の光が吹き消さられるように薄れ、かわって、あわい青色が浮かび上がるように
戻ってくる。アルカードは目を伏せ、小さく息をついた。なだめるように手をあげたラルフの手のひらに、
そっと頬を寄せる。

146 名前:小夜曲 9/14 投稿日: 2007/03/01() 00:10:40

「アドリアン?」
 ――……おまえは、狡い……。
 指先に触れた唇が、吐息だけでささやいた。
 ──そんな風に言われたら、私が抗えないことはわかっているくせに。
 そして目を閉じ、きつく唇をかみしめて、アルカードはそろそろと動きはじめた。
 最初のうちはつたない、おずおずとした動きだったが、しだいに呼吸が荒くなり、かみしめた唇が
ゆるんで甘い喘ぎをこぼす。はしたない声だけはあげまいと、必死に堪える表情が燭台の仄かな灯り
に照らされて、うつりかわる陰翳の中に踊る。
 ラルフは垂れかかる長い銀髪をかき上げてやり、腰に添えた手で崩れかかる身体を支えて軽く腰を
突き上げた。
 あ、と耐えかねた声が唇をわり、アルカードはびくりと腕をあげて口を覆おうとしたが、その前に
すばやくラルフが両腕を押さえ込んでいた。
「我慢するな。いくらでも声を出せ。おまえの可愛い声を、聞きたい」
 ひとつ突き上げるたびに、白い肢体がそりかえる。ぎこちなかった腰の動きはいつのまにか
なめらかに、そしてなまめかしいものになり、突き上げる動きにあわせるように荒々しく波打って
いた。もう口から漏れる喘ぎは抑えられるものではなく、いくら堪えようとしても、そのたびに
加えられる強いひと突きに少しずつ理性は削りとられていく。
「ラ、ルフ、ラルフ……もう、っ」
 激しく揺さぶられるアルカードの悲鳴が、ようやく言葉の形をなした。いかせて──か細い声で
ようやく絞り出された哀願に、抑えに抑えてきたラルフの理性のたががとうとう弾け飛んだ。

147 名前:小夜曲 10/14 投稿日: 2007/03/01() 00:11:40

「ラ、ラルフ?」
 深々と打ち込んだ自身をいったん引き抜き、驚いているアルカードを抱き上げてシーツの海に投げ
落とす。身を起こそうとするところへのし掛かり、押さえつけて、本能的に逃げを打とうとする
細い腰をつかまえ、片方の足を持ち上げて、一息に貫いた。
 悲鳴のような嬌声があがった。
 長い銀髪がシーツに流れ、うねり、滝のようにこぼれ落ちる。もはやどんな虚勢を張る余裕も
アルカードには残っていなかった。足を抱え上げられ、容赦ない抜き挿しが加えられるたびごとに、
しなやかな身体は殺される獣のように悶え、すでに声にならないむせび泣きがとめどなく漏れる。
軋むベッドの上でシーツが嵐の海のように乱れてゆき、その中で、ふたつの肉体が激しく絡みあう。
「あ、ぁ……っ、──っ……!」
 最後の深々とした突き上げを受けて、アルカードがひときわ大きくのけぞる。二度目の絶頂を迎えて、
銀色の茂みに飾られた性器が悦びのしるしを吐き出す。
 一瞬遅れて、ラルフも達した。体内に広がる熱いものを感じて、アルカードの背がわななく。ぐったりと
した恋人の身体を抱きしめて、ラルフは自らも重なり合うようにベッドに沈んだ。

148 名前:小夜曲 11/14 投稿日: 2007/03/01() 00:12:31




「……なあ」
「……………。」
「……なあ。悪かったって言ってるじゃないか。反省してるよ。だからちょっとでいいからこっちを
向いてくれよ。なあってば」
「……………………。」
 ──しまった……。
 痛切にラルフは思ったが、今さら後悔してももう遅かった。
 どうやら、少々調子に乗りすぎたらしい。身体を清めてもらっている間はまだ余韻が後を引いて
いて、されるがままになっていたアルカードだったが、徐々に正気が戻ってくると、ラルフが約束を盾に
とってやらかしたことと、それに対する自分の反応を思い出して、すっかり腹を立ててしまった
ようだ。
 ふだんおっとりしているので忘れがちだが、アルカードは曲がりなりにも立派な王侯の子であり、
闇を統べるものの公子であり、それなりに矜持もあって気位も高ければ、そこそこ頑固でもあり
意地っぱりでもある。いったん機嫌を損ねると、直させるのにはひどく苦労することになる。
「なあって。せめてこっちを向いてくれよ。謝る、謝るから。な? 俺が悪かった、だから、ほら」
 アルカードは背中を向けて横たわった姿勢を動かさず、ちょっと身体をずらしてますますラルフから
距離をとっただけだった。
「だから、そんなに拗ねるなよ。おまえだって快かっただろ? 少なくとも、あんなに可愛い声で
啼いてくれたじゃないか。アドリアン、怒らずに、こっち向いてくれよ。ほら」
 なんとかなだめてみなければと、肩に手をかける。
 シーツに顔を伏せていたアルカードは目を上げてじろりとラルフを睨むと、口づけしようと降りかけて
いたその唇に、力いっぱい噛みついた。

149 名前:小夜曲 12/14 投稿日: 2007/03/01() 00:13:26




「──つ……」
「どうされました?」
 翌朝、ベルモンド家の若当主の朝食を給仕していた若い女中は、熱いスープを一口すすって顔を
しかめたあるじに驚いた顔を向けた。
「あの、スープに何か入ってましたか? 厨房に持ってって、替えさせましょうか?」
「いや、いい。スープが悪いわけじゃない」
 ラルフは言って、今度は慎重にスプーンを口にあてたが、やはり顔をしかめた。
「あれ、どうなさったんですか、その唇」
 おそるおそる朝食をとる若当主の唇が、見るも痛々しく腫れあがっているのを目ざとく見つけて、
彼女は尋ねた。
「なにかで切れたか、噛まれたみたいな感じですけど」
「ああ。ちょっとな。猫に噛まれたんだ」
「猫?」
「青い目の、綺麗で気の強い猫にな」
 若い女中はからかわれているのだと判断したらしく肩をすくめ、からになった皿を持って食堂を
出て行った。ラルフはまた一口慎重にスープをすすり、昨夜のことに思いをはせて、ひとりでに浮かんで
くるにやにや笑いを抑えた。
 午前の仕事が終われば、またアルカードが図書室で待っている。
 昨晩はかなり怒らせてしまったが、今日もまたきちんと課題をこなすことができれば、アルカードには
また自分のいうことを何でもきく義務ができるわけで、それに関しては実に望むところだった。
 まあ、昨夜腹を立てさせたことはとにかく謝ることにして、自重はするように心がけよう。
とにかく、少しは。
 普段の凪いだ湖面のように静かなアルカードの顔が、自分のいうがままに快楽に溺れるさまを思い
うかべると、自然に頬がゆるむ。

150 名前:小夜曲 13/14 投稿日: 2007/03/01() 00:14:18

 食事を終えて席を立ち、いつもの当主としての単調な仕事についてからでも、昨夜のアルカードの
あでやかな肢体はしょっちゅう脳裏をよぎり、気がつくと署名の途中で手を止めてにやにやして
いるのもたびたびだった。
 そのたびに、さらに勢いこんでペンを取り直し、いつもの倍の勢いで仕事を終えて図書室に
向かったのは、いつもよりかなり早い時刻だった。図書室のドアは開いていて、アルカードがいつもの
ように、窓辺の書見台についてさらさらとペンを走らせている音がかすかに聞こえてくる。
 少々気後れはしたが、部屋の外で聞こえるように大きく咳払いして、大股に中へ入っていった。
ペンの音が止まる。目を向けると、まばたきもせずこちらを見つめる、澄んだ氷青の視線にぶつかった。
「まあ……その……来たぞ」
 どう言うべきか思いつかなかったので、ぶっきらぼうにそれだけ口にした。昨夜はすまなかった、
などとここで言っても意味がない。
 どのみち、アルカードは聞いてもいないようだった。こちらの背筋がむずむずするほど綺麗な青い瞳で
じっと見つめ、無表情に、いつもの大テーブルの席を黙って指さす。
 これ幸いと冷たい視線から逃げ出し、椅子を引いて腰を落とす。
 ペンをとり、目の前に広げられた書き取り問題を一瞥して、「おい!?」とラルフは悲鳴をあげた。
「なんだ」
 アルカードは目を上げもしなかった。書見台の巨大な古書に目を落とし、いつものようにさらさらと
注釈を書く手を止めもせず、
「何か、問題でもあるのか」
「問題? これが問題でなくてなんだ! なんだ、この課題は!」
 椅子を蹴って立ち上がり、書き取り用手本として置かれた書面を憤然と掲げる。
 書面はほぼ全面、びっしりと黒い文字で埋まっていた。十文字以下の単語はほとんどなく、それを
言うなら、ラルフがこれまでになんとか覚えた単語など、かけらもない。

151 名前:小夜曲 14/14 投稿日: 2007/03/01() 00:15:11

「これは本当に人間語か!? 俺の知ってる綴りがひとつもないじゃないか! 見たこともない単語
ばっかり選びやがって、いったいどういうつもりだ、おい!」
「ある段階を終えたら、新しい段階に移るのが学習というものだ」
 淡々と言って、アルカードはペンにインクを付けなおした。
「おまえはこれまでの課題はこなせるようになった。だから、新しい課題を用意した。そのどこが
おかしいのか、私にはわからない」
「だからっていきなりこんなまっ黒な文章……!」
「ああそれから、今日から書き取りに制限時間を設けることにした」
 細い指が指ししめした先には、大きな砂時計がひとつ、さらさらと砂をこぼしていた。
「この砂時計の砂が三度落ちきるまでに課題を終えられなければ、落第だ。綴りと文法の間違いも、
三つまでからひとつ以下に減らす。落第した者は課題がこなせるようになるまで、私の部屋には
入れない。わかったか」
「誰がわかるか、こら! 勝手に決めるな、その、だから、昨晩は悪かったと言ってるだろうが、
だいたいおまえは、この……」
「しゃべっている時間があるなら早くペンを持ったほうがいい。そろそろ一回目の砂が半分ほど
落ちきる」
 ページをめくって、そっけなくアルカードは言った。
 ぐっとラルフは言葉につまる。
 そうする間にもアルカードの手元で、砂はさらさらと落ちつづけて、着実に持ち時間を削っていく。
「……く、くそ。わかった! やりゃあいいんだろう、やりゃあ!」
 勢いまかせに腰を落とされて、がっしりした樫の椅子がぎしりと悲鳴をあげる。
「ふ、ふん、なんだこんな文字の塊くらい、このラルフ・C・ベルモンドを舐めるなよ! くそっ、見て
ろ、出来上がったらどうするか、この、この──」
「砂が半分。あと二回と半」
 アルカードの声が無情に残り時間を告げる。
 もはや呪いの言葉を吐く余裕もなく、若きベルモンド家当主は汗ばむ手にペンを握りしめ、ほとんど
暗号にも等しい文字だらけの紙面を、必死になって追い始めた。

 

 

152 名前:小夜曲・その後… 1/5 投稿日: 2007/03/01() 00:16:30

 ──その夜。

「……なあ。アドリアン」
 遠慮がちなノックの音が続いている。ぼそぼそと低い声が、ドアの向こうからとぎれとぎれに
聞こえてくる。
「なあってば。今日はもうほんとに何もしないよ。何もしないって。だから、入れるだけ入れて
くれ、頼むよ。そんなに拗ねないでくれよ。悪かった、俺がほんとに悪かった。もうしない、反省
してる。だから、今夜は勘弁して入れてくれってば、なあ」
 アルカードは返事もせずに、毛布をひっかぶった。
 ぼす、と音をたてて枕に顔を埋める。ノックはまだ控えめに続いていたが、聞かなくてすむよう
に毛布を頭の上まで引っぱり上げ、ドアに背を向けて身を丸めた。
 少しくらい反省すればいい、と胸の中で呟く。
 思い出すだけで顔が熱くなるようなことを──半分くらいは八つ当たりなのはわかっているが──
約束を盾にとって、むりやりやらせたのはどこの誰だ。
 だいたい、約束約束というのなら、落第した者は部屋に入れないというのも約束だ。その基準に
達しなかった者を、締め出すくらい何が悪い。
 予想通りというか、ラルフは時間内に書き取りを終わらせるどころか、ほんの五、六行書いたところ
で時間切れとなった。
 やっと書き上げた部分でさえ、一つどころか一行に四つも五つも間違いがあり、むしろ間違って
いないところを捜す方が早いようなありさまだったので(つけ加えるなら、筆跡もいつもに増して
ひどいものだった)、あえなく落第の断を下され、今夜はアルカードの部屋には入れてもらえないこと
になったのだが。
「なあ、アドリアン──」
 うるさい。
 ベッドの中できつく膝を抱えながら、小さく呟く。
 その名を呼んだからといって、なんでも許されると思ったら大間違いだ。
 それがどんなに甘く、やさしく響いて、すがるような声がいくら胸をちくちくさせるとしても、
約束は約束、決めたことは決めたことだ。自業自得だ。締め出されて情けない声を出すくらいなら、
やることくらいちゃんとできるようになっておけばいい。

153 名前:小夜曲・その後… 2/5 投稿日: 2007/03/01() 00:17:29

 とはいえ──。
 抱えていた膝を放して、寝返りを打つ。
 いつもはあまり着ない、というより、着る機会のないリネンの夜着が肌にまつわる。
 灯りはもう消して、半分がた溶けた蝋燭が枕もとの燭台にささっているきりだが、細く開けた木戸
からさしてくる月光で、室内はほのかに青く明るい。青い光の中にぼんやりと浮かびあがる室内は、
いつもとひとつも変わっているわけではないにもかかわらず、奇妙に空虚な感じがした。
 こんなにこのベッドは広かっただろうか、とふと思う。無意識のうちに手を伸ばして、隣にあいた
大きな空間をさぐっていた。
 ならされたシーツがなめらかに冷たく手に触れる。
 いつもはここに、温かくてしっかりした手応えの誰かがいて、笑いながら抱き寄せてくれるのだ。
 低声の会話とくすくす笑いが、やがて熱い吐息に移りかわっていき、がっしりした身体の重みを
全身に感じ、そして、それから……
 それから。
 ぼんやりとシーツのすきまに手を伸ばしているうちに、いつの間にかノックの音がやんでいるのに
気がついた。
 何故かぎょっとして、毛布をはねのけベッドに身を起こす。しばらくそのままの姿勢で耳をすまし
ていたが、ドアはコトリとも音をたてなかった。
 ──あきらめて、部屋に帰ったのだろうか。
 それがどうした、と心の一部がつぶやく。
 まさかあの馬鹿者も、踊り場の冷たい石床の上でひと晩過ごすほど我慢強くはないだろう。今夜は
これで安眠できる。邪魔者なしに。訪問者はいなくなったのだから、こちらもさっさとベッドに
戻って、朝まで眠ってしまえばいい。
 とはいえ、身体は別の動きをしていた。毛布をはいで起き上がり、手探りでつかんだベッド覆いを
上着がわりに肩に巻きつけて、蝋燭に火をつける。
 ゆらめく灯りを手にして、つま先立ってそろそろとドアのところへ忍び寄った。灯りが漏れないよ
うに慎重に遠ざけて持ちながら、身をかがめ、鍵穴に耳を近づけて、向こうの物音に耳をすます。
「──おい」
 もう少しで燭台を取り落とすところだった。
「こうやって、一晩じゅうドアをはさんでにらめっこしてるつもりか?」
 アルカードはしばらくじっと立ちつくしたままでいたが、やがてその手は、自分のやっていることに
抵抗するかのように、極めてのろのろと、ドアの取っ手に伸びた。

154 名前:小夜曲・その後… 3/5 投稿日: 2007/03/01() 00:18:14




 後ろでゆっくりドアの開く気配がして、ラルフはふり返った。
 アルカードが、そこに立っていた。裸足で、白い夜着の上に金襴のベッド掛けをぐるぐる巻きにし、
胸元をきつく押さえて、片手にゆらめく蝋燭をかかげている。弱い灯りでは表情はよく読めなかった
が、とにかく、機嫌のいい顔ではないのは確かだった。
「──で?」
 後ろ向きにどっかとあぐらをかいたまま、すねたようにラルフは言った。
「入れてくれるのか、くれないのか、どっちだ?」
 アルカードは答えず、そのままくるりと背を向けた。
「おい?」
「──どこにでも、いたいところにいればいい」
 長いベッド掛けの裾をずるずる引きずりながら、そっけなくアルカードは言った。
「私は寝る。おまえがどこにいようと、私の知ったことか。勝手に好きなところにいろ」
 ベッド掛けを乱暴に放り捨てて、そのままシーツのあいだに潜ってしまった。
 ドアは開いたままである。ラルフとしては、現在いたい場所などただ一つしかなかったので、
こそこそと部屋に入りこみ、まっすぐそこを目指した。
 アルカードのベッドの端から、遠慮しつつそっともぐり込む。とりあえず靴と上着だけは脱いだが、
さすがにそれ以上するのは、今夜はいささか気が引けた。
「……アドリアン?」
 返事はない。
 見えているのは枕に埋もれた銀色の頭だけで、しかも、後ろを向いている。
 ため息をつき、まあ、部屋に入れてもらえただけでも今夜は良かった、と自分に言い聞かせること
にする。

155 名前:小夜曲・その後… 4/5 投稿日: 2007/03/01() 00:19:02

 すぐそばにあるやわらかい肌のことは考えないようにしつつ目をつぶろうとしたその時、
いきなり、そのやわらかな肌とかぐわしい香りが、まともに胸にしがみついてきた。
「ア、アドリアン!?
 アルカードが身を丸め、しがみつくようにじっとこちらの胸に顔を埋めていた。
 両腕を首に回し、胸と胸を押しつけて、子供が人形に抱きつくようにしっかりとしがみついてくる。
 とまどいながらも、ラルフはおそるおそる腕を上げ、細い肩に手を回した。
 抵抗はない。
 少し大胆になって、腰に触れ、脇腹から背筋に手を這わせた。
 やはり、抵抗はない。
(お、おい、いいのか!?
 しっかりしがみついたまま動こうとしないアルカードに、鼓動が急速に高まってくる。
 いつもはじかに触れるなめらかな肌が、今夜は夜着に包まれている。もどかしい思いでさっそく
その下に手をすべり込ませようとしたとき、アルカードがいきなり顔を上げた。
「何も、しないと言った」
「は?」
 思わず身体が固まる。
「な、何もしないって、おまえ」
「しないと言った」
「──その、しかし、これは……」
「言ったな?」
「…………言った……。」
「なら、何もするな」
 満足げにそう言うと、アルカードは気持ちよさそうにラルフの腕枕に頭を乗せ、喉もとに頭をすりつけた。

156 名前:小夜曲・その後… 5/5 投稿日: 2007/03/01() 00:19:44

「何もしないと言ったのだから、何もするな。黙ってじっとしていろ。動くな。しゃべるな。私は寝る」
 小さくあふ、とあくびをして、最後に一言重ねて釘を刺した。
「何もするなよ。いいな」
 そう言うと、もぞもぞと動いていちばん温かい場所に身を落ちつけ、目を閉じる。
 いくらもしないうちに、静かな寝息が聞こえてきた。
「……おい。これはなんの拷問だ?」
 夜着姿で無防備に眠るアルカードを胸に抱いて、ラルフは天を仰いだ。
 愛しい恋人の甘い香りがすぐそばで香って、しなやかなその肉体がうすい夜着一枚を隔てただけ
で腕の中にあるのに、何もするなとはどういうことだ。
 昨夜のなまめかしい姿態の記憶さえまだ新しく、長い銀髪がやわらかく頬に触れ、細いうなじ
には、昨夜自分がつけた痕さえはっきり残っているというのに──。
 だがしかし、ここであえて手を出そうとすれば、今度こそ本当にアルカードの機嫌をそこねてしまう
ことはよくわかっていた。
 ここでまた怒らせてしまえば、部屋に入れてくれないどころか、今度は、最低一週間は口をきく
どころか、視線すら合わせてくれなくなるだろう。もちろん今しているような、(甘やかな)拷問
すら受けさせてもらえない、ということになる。
 まさに地獄だ。
 最低最悪だ。
「くそ……この……」
 愚痴ってもののしっても、事態はなんら改善されない。
 あきらめて、ラルフはかたく目をつぶり、朝までの長い時間を、今朝習った単語の綴りを頭の中で
くり返すことでやりすごそうとした。しきりに訴えてくる下半身の疼きを無視し、腕の中で安らか
に寝息をたてる身体をできるだけ意識から追い出そうと、甲斐もなく努力しながら。