サーヴァント・ワルツその1

 

157 名前:サーヴァント・ワルツその1 1/10 投稿日: 2007/06/23() 01:02:13

「はい、できあがり」
 明るい声でマリアは言って手を離し、二、三歩下がって、作品のできぐあいを上から下からためつ
すがめつした。
「ほんとにアルカードは何着せても似合うけど、雰囲気変わっていい感じよねえ。ねえ、せっかく
だから、いつもこういう感じでもうちょっとましな格好しない? あのぶかぶかのシャツと
レギンスひとつじゃ、いくらなんでももったいないわよ。なんだったら、あたしが選んであげる
から──」
「おい、これは遊びじゃないんだぞ、マリア」
 義妹のはしゃぎぶりに、リヒター・ベルモンドは多少苛ついた声を出した。
 話題になっている当の人間が、全員の注目をあびて実に居心地悪そうにうつむきかけていたから
でもある。もともと、人と接するのがあまり得意ではないのだ。一緒に暮らし始めてまだ一年と
たたないが、ゆるく波打つ美しい銀髪の下の細い眉が、困ったように寄せられていることくらい
想像はつく。
「とにかく今は、アルカードをごく普通のうちの雇い人として見せておくことが大事なんだろうが。
着せ替え人形をしてるんじゃない。……アルカード、服はそれできちんと合っているか? 借り着で
悪いんだが、急いで仕立てさせるほどの時間がなくてな」
「かまわない。これはこれで、動きやすい」
 アルカードは少々落ちつかない顔で、深緑の上着の袖をひっぱっている。しかしマリアがはしゃぐのも、
少しばかりうなずける姿ではあった。
 今日のアルカードは、いつもの粗末な白シャツではなく、たっぷりと胸にひだを取った豪華な絹の
シャツを身につけている。
 その上に葡萄酒色のヴェストを重ね、腰を細く仕立てた濃緑色の長い上着を着て、下は膝までの
ぴたりとした細いズボンに、白の長靴下。ぴかぴかに磨いた黒い靴は、流行の大きなバックル飾り
がついたもの。いつもは結わずに流している髪も後ろにかき上げてまとめ、幅広な紺色のタフタで
ゆったりと結んで背中に垂らしている。全体的に、良家に仕える上級使用人を絵に描いたような
いでたちだ。
 リヒターとともにベルモンド家へ来てからのアルカードは、たいていの場合、少し大きすぎるのではないかと
思われる白いシャツと、細身の簡素な黒いレギンスに、短い皮靴といった格好を頑として変えずに
いた。

158 名前:サーヴァント・ワルツその1 2/10 投稿日: 2007/06/23() 01:03:02

 その姿で家の図書室と、自室である西の離れの塔の上の部屋を往復するのが、彼の毎日の日課
である。来たとき身につけていた豪奢な黒ずくめの衣装は衣装箱の奥にしまいこまれ、剣は壁に
かかったままだ。
 しかし、どういう布にくるまれていようが、輝きは覆うべくもない。ゆるやかに垂れかかる月光
のような銀髪と、氷の青の色をした瞳、かすかに朱く色づいた形のいい唇。めったに表情を変える
ことはないが、ときおりわずかに微笑むと、その幻めいた美貌は、見た者の魂を雷に打たれたよう
に震わせる。
 魔王と人との間に生まれた希有の宝石、光と闇の混血が生みだした人ならざる美。
 見つめているのに気づいたのか、目を上げて訴えるような視線を返され、リヒターは思わずくらりと
しかけて、あわてて頭を振った。
「しかし、本当に私が表に出る必要があるのか?」
 やはり落ちつかない顔でアルカードは髪をいじっている。
「リヒターも言うように、その教会からの視察とやらが来ている間だけ、どこか別の場所へ行くか、
地下室にでも隠れていれば──」
「そんなこと、するだけ無駄よ」
 マリアが断固として首を振った。
「アルカードが、少なくとも銀髪のものすごくきれいな若い男が、ベルモンド家に来てるっていう噂は
もう、この村どころかあたり一帯もちきりだもの。いないなんて言えば、それこそいらない疑いを
あおるだけだわ」
 ──教会本部から、ベルモンド家に対して使節を送った、という知らせが入ったのは、ほんの三日前
のことだった。
 書面によれば、一昨年から昨年にかけての当主リヒターの失踪、ならびにそれによる悪魔城の一時的
な復活に関する事情聴取、そして、リヒターが返上を申し出た聖鞭ヴァンパイアキラーの受け渡し、
といったあたりが主な目的となっている。だが、あまりに急すぎる使節の到来は、リヒターたちに
大きな不安を抱かせた。
 表向き、リヒターは自分で闇神官シャフトの洗脳から醒め、魔王と悪魔城を再封印したことになっている。
 しかし本当のところは、魔王ドラキュラの実子であるアルカードが、醒めないはずの眠りから醒めて城に
やってこなければ、シャフトはそのままリヒターを利用してドラキュラの復活に成功し、ふたたび四百年前と
同じ暗黒が世界を覆うはずだったのだ。

159 名前:サーヴァント・ワルツその1 3/10 投稿日: 2007/06/23() 01:03:56

 ドラキュラの子アルカードの存在は世間的には秘匿されているが、当然、教会の記録には残されている。
その容姿や血筋、能力も、むろん残っている。
 それに合致する人間がふたたびベルモンド家に身を寄せているという噂が耳に入れば、教会側は即座
に彼を捕らえるか、殺そうとするだろう。魔王と人間の間に生まれた子供など、単なる魔物以上に、
教会にとっては認めがたい、呪われるべき存在なのだ。おそらく今回の急な査問も、魔王の息子を
隠す暇を与えずに、呪われた闇の血を発見し、捕らえるための方便にちがいない。
 アルカードは、かつて最初にドラキュラが人間の大虐殺を始めたときに、教会に召還されて戦ったベルモンド
家の一人、ラルフ・C・ベルモンドの戦友であり、おそらくは、深い絆を結んだ仲でもあった。
 二度の父親殺し、そして再び帰る場所を失った孤独に深く傷ついたアルカードを、もう一度生きること
に目覚めさせたのは、まさにラルフとの、強い絆にほかならなかったのだろう。今はまた、ベルモンド
家の食客として、四百年前と変わらず保たれた自分の部屋で寝起きし、おそらくは、四百年前にして
いたのと同じ気に入りの格好で、毎日本と古い羊皮紙、インクの染みといっしょに歩き回っている。
 かたく閉ざされていたその心を開いたと思われる、四百年間、家令の家系に伝えられてきたという
箱に何が入っていたのか、リヒターは知らない。人に見られていないと思うとき、アルカードが胸元から
そっと取りだして唇をふれるものに、心がざわつくのがなぜなのかも、よくわからない。
 ただ、先祖代々の肖像を並べた廊下を歩くとき、ラルフ・C・ベルモンドの肖像の前で立ち止まって
睨みつける習慣がついたのは確かだ。なぜか知らないが、そうしてしまうのだった。アルカードが
ときおり、ぼんやりとその前に立ちつくして、服の上から胸につるした何かを握りしめているのを
見てしまってからは、特に。
 書簡に書かれた日付から計算すれば、使節が到着するのは、おそらく、今日。
(ラルフ・C・ベルモンドは、アルカードを守った。俺だって、きっと──)
「村の人たちはベルモンド家の不利益になるようなことは絶対に言ったりしないでしょうけど、教会は
事実を自分のいいようにねじ曲げることが大のお得意だもの」
 力強くマリアが言っている。
「だったら、ねじ曲げようもないくらいきっちりした事実を見せつけてやって、うまく追い返して
やればいいのよ。そのほうが、あとあと安心でしょ」
 それはその通りであるのだが、そんなわけで、リヒター──口には出さないが、アルカードに対して言い
表しようのない何か、──つまり、単に感謝や、友情や好意、という言葉では、どうやらすまされ
ないのではなかろうか、と自分でも思われるたぐいの感情を抱いている、リヒター──にとっては、
この勇猛果敢な義妹が立てた計画は、いささか無謀にすぎるのではという思いがぬぐえないのだった。

160 名前:サーヴァント・ワルツその1 4/10 投稿日: 2007/06/23() 01:04:45

「しかし、なあ、マリア。やっぱりこれはいくらなんでも──」
「はい、じゃあアルカード──じゃなくて、アルベール」
 おそるおそる意見しようとする義兄をきれいに無視して、マリアはぱんと手を叩いた。
「あなたの名前と、ここへ来るまでの身の上を言ってみてちょうだい」
「私の名前は、アルベール・デュ=クール」
 従順にアルカードは教えこまれたとおりのことを暗唱してみせた。
「フランスでジャコバン党員として政治活動をしていたが、ロベスピエール一派のために暗殺
されそうになって、友人を頼ってハンガリーに脱出した。しかし、そこでも発見され、逃げ回って
いるうちに、このベルモンド家の領地に迷いこんで保護された」
「はい、よろしい。それで、あなたの仕事は?」
「今は、主人付きの従僕として働いている」
 ちらりとリヒターに目をやって、アルカードは答えた。
「今は家令が小麦の売買のために、主人の代理人として街に出ていて不在のため、当主の従僕の私
が代理として家を取りしきっている。客人の出迎えや接待、その他一切のことも、私がすることに
なる。こういったことには不慣れな上、外国人なもので、多少の失礼はあるかもしれないが、
どうかお許し頂きたい」
「ま、そんな感じね。みんな、いい?」
 周囲に集まったおもな使用人一同を見回して、マリアは声をあげた。
「教会の使節が帰るまでは、アルカード、じゃなくて、このアルベールが家令の代わりよ。みんな、その
つもりで気をつけてちょうだいね。呼び方も注意して、間違えないように。リヒターの従僕、という
ことになってるから、もし何か危ないと思ったら、リヒターが呼んでる、とかなんとか言って、教会
ネズミから引き離して。わかった?」
「もちろんですとも。承知いたしましたわ、マリア嬢さま」
 料理人、兼女中頭のロベルタが興奮した声をあげた。
 陽気な太った未亡人である彼女は、庭師の夫が死んでからずっとベルモンド家の台所を預かって
きたが、例にもれずアルカードに夢中になっている人間の筆頭であり、その上、屋敷の中の使用人は
全員、まだ若い家令のエルンストも含めて、彼女に首根っこを押さえつけられているという話
だった。

161 名前:サーヴァント・ワルツその1 5/10 投稿日: 2007/06/23() 01:05:43

 集まったほかの使用人、特に女たちが、そうよ、そうですわ、と声を合わせる。当世風の伊達男
に変身したアルカードにいつも以上にうっとりした目を向け、仲間同士でこそこそささやきあったり、
頬を染めたりと早くも忙しげなようすだった。
「アルカード様、じゃありませんね、気の毒なアルベールにひどい濡れ衣を着せて捕まえようだなんて、
それこそ神様がお許しにゃなりませんよ。まかしてくださいな、あたしがしっかり目を光らして、
奴らをお月様まで放り返してやりますから!」
「あなたがそう言ってくれるなら心強いわ、ロベルタ」
 たっぷりした胸をどんと叩いたロベルタに、マリアは明るい笑顔を向けた。それからくるりとリヒターを
振り返って、
「それと、あなたがいちばんしっかりしてちょうだいね、リヒター。何といっても、あなたが主人と
して使節と直接話をする機会が一番多いんだし、うっかり口をすべらせないようにしてよ? その
ために、わざわざアルベールなんて、アルカードとよく似た名前にしたんだから。もし言い間違えても、
うまくごまかせるようにね。いちばん呼ぶ機会が多くて、間違える機会も多いのはあなたなんだか
ら、気をつけてくれなくちゃだめよ」
 アルカード、いや、しばらくはアルベールと呼ばれることになる青年の不安そうな視線をあびながら、
リヒターはひたすら首をちぢめるしかなかった。


 使節は正午を少し過ぎたころに到着するはずだった。前もって、近くの街に走らせておいた村の
少年が、それらしい三人の修道士が馬車に乗って出発するのを見たと、息せき切って戻ってきて
報告したのだ。
 どういう相手なのかは、まだ名前しかわかっていない。指導者格のひとりがジェロームという
名の司祭、その下に二人の修道士、ペトラスとアンセルムが同行しているとなっている。三人が
どういうことを考えているのか、三人とも同じく固い信仰を保っているのか、それともうちの一人
くらいは生臭坊主が混じっているか。
 できれば三人とも、うまいものを食わせて気持ちよくさせて帰せばすむ阿呆ぞろいであってくれ
ればいいんだがな、とリヒターは思った。
 屋敷の二階の窓から、正面の大門とその前に整列した使用人たちの列が見える。
 もともと騎士階級だった始祖、レオン・ベルモンドの居城をそのまま今も使っている部分がベルモンド
家の屋敷には多くあり、屋敷の周囲を囲む堅固な壁と、城塞の城塞を思わせる巨大な大門が特に、
今の時代では時代錯誤なほど目立つ存在になっている。

162 名前:サーヴァント・ワルツその1 6/10 投稿日: 2007/06/23() 01:06:27

 不便だからとりこわそうという意見がないこともなかったようだが、もとより、魔の狩り手として
戦いに生きることを宿命づけられているベルモンドの者にとって、城壁と大門はかえって今の世も戦士
たることを思い出させる重要なよすがとなっていた。さすがに昔のような堀や跳ね橋、落とし格子
などは取り外しているが、分厚い樫の板を鉄で補強した大扉はそのまま残され、攻めてくる敵を
いつでもはね返すべく準備を整えている。
 大門の内側はちょっとした馬寄せの中庭になっており、そこで他の使用人に混じって、アルカード、
いや、今日のところは『俺の』従僕の、アルベール(俺の、と思ったところで何故か心臓が一瞬跳び
はねた)が、そのまん中にぴたりと背筋を伸ばして立ち、来るべき客を迎える体制をととのえて
いる。
 いや、客ではない、敵だな、と思い直した。
 奴らは彼を、アルカードを獲物にするためにやって来る、いわば三羽のハゲタカなのだ。昨今、以前の
ように信心堅固な聖職者などそうたくさんはいなくなっているが──むしろ、宗教権力に近い聖職者
ほど奢侈にふけっているのは昔からの伝統ともいうべきだが──相手の性格が読めないかぎり、
こちらも対応策が立てにくい。
(まあいい。当たって砕けろだ)
「ちょっと。いざとなったらアルカードを庇って大暴れして奴らを追っ払ってやる、とか思ってないでしょうね」
 後ろですねたように座っていたマリアが心を読んだように言った。
 リヒターが目に見えてぎくっとしたのに、ため息をついて、
「いっとくけど、駄目よ。そんなことしたら、アルカードがよけいに傷つくのが目に見えてるわ。自分
のためにベルモンド家を窮地に陥れた、なんて思ったら、せっかくここに居場所を見つけた彼を、また
追いはらってしまうことになる。きっと自分から、また黙ってひとりで出て行ってしまうわよ。
そんなこと、させていいの?」
「うるさいな。よくないに決まってるだろうが」
 リヒターは唸った。
「だったら黙っておとなしくして、当主らしくしてて。見なさい、アルカードはちゃんとやってくれてる
じゃないの」
 言われなくてもわかっている。
 口で義妹に勝つのはもうあきらめた。リヒターは開けた窓から、中庭のようすを黙ってうかがいつづけた。

163 名前:サーヴァント・ワルツその1 7/10 投稿日: 2007/06/23() 01:07:12

 半時間ほどするうちに、街道のほうから、馬車の輪が軋みながらまわる音と、御者が勢いよく馬に
呼びかける声が遠く聞こえてきた。
「──開門! 開門!」
 よく通る声が、内側で待ち受けている下男たちに届いた。
「こちらはコンスタンティノープル総主教、レオナルドゥス猊下より下された使者なり!聖教の
しもべにして闇の狩り手たる、ベルモンド家当主に面会を願いたい!」
 下男たちが左右から、それっとばかりに扉を開く。
 ゆっくりと扉が開ききるのを待って、黒塗りの立派な箱形馬車が一台、しずしずと進んできた。
両側にはロバに乗った修道士が二人付きしたがっている。馬車の前屋根には正教会の権威を象徴する
金色の十字架が高々とかかげられ、陽光にまばゆく輝いていた。
 馬車の扉が開き、御者が忙しげに横へ回って足置き台を置く。
 アルカードが一歩、前へ進み出るのが見えた。
「あ、ちょっと、リヒター!」
 我慢できなくなって、リヒターは窓辺を離れた。椅子に投げてあった上着をつかみ、袖を通しながら
大股に部屋を出て、階段を駈け下りる。マリアの声があとを追いかける。
「待ってよ、もう! ちゃんとアルカード、ええと、アルベールが、お客さまを案内してくるまで部屋で
待ってないと……」
 うるさい、そんなところまで我慢してられるか、と声に出さずにリヒターは唸った。
 アルカードがリヒターより先に使節に会う、というのも、マリアの立てた作戦だった。きっと彼らはベルモンド
家がアルカードを隠すと思っている、まさか、自分たちの捜している当人が、主人より先にいきなり
堂々と目の前に現れるとは思わないだろう、というのが彼女の意見だったのだ。
 だが、もし教会の奴らが怪しい相手は誰でもいいからさっさと捕まえる、というつもりでいたら
どうする。銀髪に妖しいまでの美貌の青年、という人相にぴったり一致するアルカードを見たとたんに、
これこそ求める相手だと断定されたらどうするつもりだ。
 廊下を歩いている間にも、アルカードが見知らぬ相手に押さえつけられ、恐ろしい声で罵られながら
馬車に引きずり込まれる映像が頭を回る。
 彼がいざとなれば強力な闇の力をふるう、齢四百歳になんなんとする魔王の子であり、魔力抜き
でもきわめて手ごわい剣士となることは知っている。
 だが、この屋敷に来てからのアルカードは、常にごく柔和で優しく、むしろ幼いほど純粋な性格に
見えた。眠っていたあいだに激変した世の中や、進んだ科学に素直に目をみはり、取りよせてやった
書物や地球儀に飽きずに見入った。

164 名前:サーヴァント・ワルツその1 8/10 投稿日: 2007/06/23() 01:07:52

 彼が前に目覚めていたころにはまだ発見されていなかった、遠い極東の島国からの美しい細工物
に夢中になるようすも見せた。印刷という技術や、その他の新技術に嘆声をあげ、答えられない
質問をいくつもしてきては、そのたびにリヒターを困らせたりもした。
 どんなに強力な力を秘めた存在であろうと、また、その力をふるうところを目の当たりにしていよ
うと、リヒターにとってアルカードは恩義はさておき、どうあっても守るべき存在であり、今もその意識に
まったく変わりはない。
 極東からの輸入品である、漆黒の漆塗りに虹色の貝殻をちりばめた小函を珍しそうに触っている
のを見つけて、「良ければ、持っていくといい」と言ってやったとき、一瞬ぱっと輝いた顔を、
リヒターは忘れることができない。
 まるで初めて誕生日の贈り物をもらった、十五歳の少年のような顔だった。
 あんな顔をする青年を、どうしてひとり放ってなどおけよう。
 四百歳だろうが五百歳だろうが、魔王の息子だろうが何だろうが、教会などに、──いや、俺以外
の他の人間に、アルカードを触れさせてなるものか。
 ラルフ・C・ベルモンドの肖像の前を通りすぎざまはったと睨みつけておいて、リヒターは勢いよく
表玄関の扉を開けた。
「ア! ──ル、カー……」
「旦那様」
 勢いこんだリヒターの言葉はいきなり小さくなって、尻切れとんぼに終わった。
 名前を呼ばれた本人のごく静かな、何事もなかったような返事で。
「たった今、御案内しようと思っていたところです」
 平然とアルカードは言った。
「教会からお出での方々がご到着になられました。お疲れのご様子ですので、先に客間へお通し
して、お飲み物などお出ししてもよろしゅうございますか?」
 そこでは実に、平和な光景が繰り広げられていた。
 アルカード、いや、今日のところはリヒターの従僕アルベールを中心に、使用人たちがいつにもましてせっせ
と、大事なお客さまの世話に走りまわっている。屋敷付きの馬番が御者と冗談を飛ばし合いながら
馬車から馬を外し、女中たちが布と冷たい水を運んできて客人が旅の埃を落とせるようにしている。
 馬車のそばで、内側から肉といっしょに水気さえ吸いとられてしまったというような修道士が、
ぶすっとした顔であたりを睨みまわしていた。服装からして、これが使節団を率いる司祭のジェロー
ム師だろうと思われた。

165 名前:サーヴァント・ワルツその1 9/10 投稿日: 2007/06/23() 01:08:38

 その隣に、剃毛の必要のないほど頭の禿げあがった、たるんだ頬をした小男の修道士が一人、卑屈
な姿勢で腰をかがめて立っている。アルカードは側で、太った赤ら顔の、のんきそうな初老の修道士が
ロバを降りるのを手伝っていた。
「これは、感謝いたしますぞ、お若いの。やれやれ、暑かったわい!」
 そばから女中が手渡した濡れた布で汗を拭きながら、修道士は嬉しげに言った。
「いくら聖なるおつとめとはいえ、長旅は慣れぬ身にはつらいものじゃて。お前さん、名前はなんと
言われたかな?」
「恐れ入ります。アルベール・デュ=クールと申します」
 ごく自然にアルカードは答えた。
「当家の現当主である、リヒター・ベルモンド様の従僕を務めております」
「そうか、そうか」
 顔を拭いた布をアルカードに受け取ってもらいながら、修道士は目を細めて笑った。たっぷりした頬
の肉が持ち上がり、ほとんど目が見えないほどになった。
「これほど立派な若者に仕えられておるとは、御当主殿も幸せ者よの。で、あそこにおられるのが、
御当主のリヒター殿かな?」
「多弁は戒律に反する行為であるとされておるぞ、アンセルム修道士」
 司祭のジェローム師らしき、枯れきった顔の聖職者が不機嫌そうに言った。
「われらに課されておるのは聖鞭の返還の受領と、ベルモンドの者に加えられたという呪いの可否の
選定よ。使用人ごときと世間話をするために来ているのではない。リヒター・ベルモンドよ!」
 扉をあけたままぼうっとしているリヒターに、使節団長はきんきんした声を張りあげた。
「主教庁、ならびに総主教猊下は、今回の事件に対してきわめて高い関心を払っておられる。その
つもりで、われらの質問に答えるがよい、よいな! 言い抜けしようとすればたちまち、神の裁き
の鉄槌が下るものとするがよいぞ!」
「まったく、まったく」
 とそばからちびの、禿頭の修道士が合いの手を入れる。太った方がアンセルムということは、
これが随員のもう一人、ペトラスらしい。
「聞かなければならぬことは山のようにありますぞ、リヒター・ベルモンド殿。鞭の返還は返還として、
その復活した魔王の城という話も、詳しくご報告願わねば」
 そう言いながら、すぐそばでロバと馬の手綱をまとめて馬番に引き渡しているアルカードのすっきり
した後ろ姿を、粘りつくような目で見ている。

166 名前:サーヴァント・ワルツその1 10/10 投稿日: 2007/06/23() 01:09:24

「ちょっと、もう、リヒターってば」
 やっと追いついてきたマリアが、息をきらして乱暴に腕をひっぱった。
「ああもう、あなたがまっ先に暴走してどうするのよ! 一瞬どうなることかと思ったわ。ちゃん
と挨拶して、口上を言って、あいつらを部屋へ案内するの! ほら、しゃんとして、背筋を
伸ばして、お願いだから旦那様らしくして! このままじゃ、アルカードの方がずっとご主人様らしく
見えちゃうじゃない!」
「あ、ああ」
 危ういところだったことにやっと気がついて、リヒターは生返事をした。
 馬を馬番に牽かせていったアルカードが、問いかけるような目でこちらを見た。指示を待つのか、
それとも、これでいいのかと迷うようなまなざしにも見える。
 リヒターはなんとか気を取りなおし、しっかりと立って、咳払いをした。
「ようこそ来られた、教会の方々。ともかく、まずは中へ。あー……、その、アルベール。お三方を
客間に案内して、お好みのものをお出しするように。俺も、すぐに行く」
「はい、旦那様」
 涼しい声でアルカードが答える。
 後ろでマリアが大きなため息をつくのを聞いた。自分もつきたい気分だった。
(これが奴らが帰るまで続くのか!?
 ──いや、帰るまで、というより、魔王の息子のアルカードなどという存在はここにはいない、と
きっちり確信させるまで、だ。
 そちらのほうが、ただ帰らせるよりよっぽど重要だ。今回はなんとか帰しても、アルカードに関する
疑いを持たせたままでは、監視はそのまま続くに決まっている。
 今後、アルカードを安全に過ごさせ、さらには、教会から離れた魔王封印のための組織作りを円滑に
進めるためにも、ここですっぱりベルモンド家に対する興味をなくさせるのが先決だ。そのために
こそ、先祖伝来の聖鞭を手放すという挙にも出たのだ。
 失敗は許されない。
(くそ。魔物どもと戦ってる方が、よっぽど気楽じゃないか)
 思わず曲がりかけた背を無理にしゃんと立て、深呼吸して、リヒターはアルカードから目を引き離し、
接客用の服に着替えるために踵を返した。