サーヴァント・ワルツその2

 

 

167 名前:サーヴァント・ワルツその2 1/6 投稿日: 2007/09/24() 20:53:10

 晩餐までは、ほぼこともなく進んだ。高貴な使節たちは滞りなく屋敷内でいちばん豪華な部屋に
通され、えり抜きの贅沢な家具と心地よい絨毯に宗教的な軽蔑の目を向けながらも、長旅に疲れた
身体をそこに預けることには異論はないようだった。
 ただし、使節団の長たるジェローム師はこの不快な魔狩人の家の思わぬ奢侈に対して何か一言
述べる必要を感じたらしく、ふかふかのソファに身を預けながら、この世での快適さに慣れ親しんで
神への感謝を忘れることの悪とその罪科について長々と自説を開陳し、ペトラス修道士は、いかにも
感じ入った風で、合間合間に合いの手と適切な感嘆の声を挟むことでそれに応えた。
 残るひとりのアンセノレム修道士は、あきらかにそのような神学上の問題には耳を傾ける気がなく、ただかわいい女中に囲まれて、まるい頭の下にやわらかいクッションをはさんでもらい、焼きたての
種入り菓子と冷えた葡萄酒でちやほやされることを素直に喜んでいるようで、口に出してもそう言明
した。
「いや、まったく、まったく」
 三つめの菓子を女中から受け取りながら、アンセノレム修道士は嬉しそうに言った。
「長くてつらい旅路の端で、このような暖かい歓待を受けることはまことに喜ばしいことじゃて。
神の御心にも、疲れ果てた旅人に心づくしのもてなしを与えることは、第一の徳に数えられておる
ことよ。のう娘さん、そこの実にうまい葡萄酒をもう一杯いただけるかな? ……おおおお、よし
よし、よい子じゃ、よい子じゃ。神の祝福をのう、娘さんや。そうそう、あんたにも神の祝福の
ござらんことをな、お若いの」
 盆を手にしてつつましく部屋の隅に控えていたアノレカード、今は家令のアノレベーノレにむかって、
アンセノレム修道士は愛想よくうなずいてみせた。
「あんたのような素晴らしい若者に家のことをまかせておけるとは、まこと、ベノレモンドのご主人
は果報者だのう。名前からすると、生まれはこのあたりではないようだの?」
「恐れ入ります。お言葉の通りです」
 優雅に一礼してアノレカードは答えた。
 実のところ、部屋を往来するベノレモンド家の雇い人一同は、客の視線が静かに立っている銀髪の
若い家令に向くたびに肝の冷える思いをしていたのだが、今までのところアノレカードは、まったく
といっていいほど失敗らしい失敗をしていなかった。むしろ、本来の家令であり、何かあったとき
はすぐに助け船を出せるように、下男のひとりに扮してそばをうろうろしていた若いエノレンストは、
この高貴の身の若者が自分以上に完璧な家令ぶりを発揮するのを見て、内心ひそかに驚愕していた
くらいだった。

168 名前:サーヴァント・ワルツその2 2/6 投稿日: 2007/09/24() 20:53:49

 もとから身についた優雅な挙措と、一目見れば目を奪われずにはいられない美貌もあいまって、
家令アノレベーノレは、ヨーロッパのどのような王宮でも、帝国の宮廷でも、夢にも見られぬような完璧
な家臣を演じていた。
「あの、ええ、そうですの。アノレベーノレはフランスの生まれなんですけど、祖国では命を狙われて─
─ほら、革命とか、例のロベスピエーノレのごたごたとかで」
 客たちに同席し、女主人役として接待の指揮をとっていた(そして、雇い人たちと同じくことの
成り行きに目を光らせていた)マリアが、あわてて口をはさんだ。
「それで、なんとか逃げ出してきてドイツやポーランドを逃げ回っていたんですけど、嬉しいことに
──あら、こんな言い方をしてはアノレベーノレに気の毒ですわね──あたしたちのところへたどり着い
て、ここでこうして働いてくれることになったんです。ねえ、ア──その、アノレベーノレ、そうよね」
「おっしゃる通りです、お嬢さま」
 今度はマリアにむかって頭を下げ、アノレカードは静かに答えた。瞼ひとつ震わさず、睫毛一本動か
さなかった。
「こちらの方々に救われていなければ、私は遅かれ早かれ、故国の、かつて友人であり、同志と呼び
合った人々からの刺客によって命を奪われていたことでしょう。心から感謝しております、ベノレモン
ド家の方々に、そして、素性も知れぬ異国者の私を受け入れてくださった、こちらの村の方々に」
「それよりも、神に感謝を捧げるべきことを忘れてはならん!」
 聞いていたジェローム師が、偉そうに口をはさんだ。骨張った指にはめた、高位聖職者のしるしの
紫水晶の指輪をくるくる回しながら、
「この世の人の運命は、すべて神お一人の御手のうちにあるのだ。若者よ、そなたの命が救われる
も、また暗殺者の凶刃に倒れるも、いずれも神の御心のままにあったことを知るがよいぞ。その後の
運命にしても、われらはみな、神の御旨に添うておることをのみ願うべきであって、それ以外のもの
になどすがってはならんのだ。その後教会に行き、感謝の祈祷は願ったか? 寄進はいくら、何を
捧げたか? 神は感謝の心なき者には、容赦なき鉄槌を下される。そちらの娘が名をあげたロベス
ピエーノレとやらいう輩も」
 マリアにむかってとがった顎をぞんざいに上げる。マリアはぴくりと片眉を跳ね上がらせたが、
必死になって無邪気そうな笑顔を保った。

169 名前:サーヴァント・ワルツその2 3/6 投稿日: 2007/09/24() 20:54:26

「『神はすでに死し、存在せぬ』などというばかげた狂気にとらわれ、神の聖なる家であるところの
教会を軒並み焼き討ちしたあげくに、まさにその罪によって断罪の地獄に堕ちたのだ。今ごろはその
魂も、煉獄の炎の中で自らの罪を悔いておろう。そなたもまた、そなたの訴追者と同じ運命をたどら
ぬよう、心することだな、若者よ」
「お言葉、深く胸に」
 短くアノレカードは答えた。
 白い顔は完璧な無表情を保ち、この場にふさわしくないようないかなる感情をも表していなか
った。必死にソファの肘掛けをつかんで平静を保っていたマリアは、アノレカードが(少なくとも
表面上は)動じていないのを見て取って、見られないように横を向き、ほっとため息をついた。
「ほんとに、こっちが心臓とまっちゃいそう」
 ごく小さな声で、低く呟く。
「とっとと鞭を持って帰ってくれないかしら、この人たち。でないとアノレカードのことがばれる前
に、あたしが四聖獣で殴り殺しちゃいそうだわ」
 リヒ夕ーを別室へ隔離しておいてつくづくよかった。またもや暴走して不用意な言動をしないよう
に、鞭の譲渡に備えてふさわしい支度をさせるという名目で、自室へ押しこめてあったのである。実
のところは晩餐にも同席させたくはないところだったが、当主であり、現在のヴァンパイアキラーの
正当な所持者である以上、その譲渡には立ち会わせないわけにはいかない。義兄の性格を考えると危
険この上なく、実に悩ましいことだった。
「……困ったわねえ」
 静かにしてくれるといいんだけど、とマリアは、礼儀正しくアンセノレム修道士にチーズののった皿
を勧めるアノレカードを見ながら、深く嘆息した。

170 名前:サーヴァント・ワルツその2 4/6 投稿日: 2007/09/24() 20:55:05




「さて」
 いつものベノレモンド家の家族的な夕食から見れば、贅を尽くした、と言ってよい凝った晩餐の最後
のひと皿を片づけて、口を拭くと、ジェローム修道士が重々しく口を開いた。
「それでは、われらのこの地に来たった用を片づけさせていただこうか。……ベノレモンド家当主、リ
ヒ夕ー・ベノレモンドよ。汝が教会に返還すると申し出た、聖なる鞭ヴァンパイアキラーを、ここに持
ち来たれ」
 何を三文芝居めいた口叩きやがって、とリヒ夕ーはあやうく口から出そうになったが、マリアがす
ぐ隣に座っていて、無邪気ににこにこしながらも、テーブノレの下ではいつでも義兄の臑を蹴飛ばす用
意をしているとあっては、うかつな口はきけない。ぶすっとした顔で手の横のベノレを鳴らし、家令を
呼んだ。給仕の指揮をとっていたアノレカードが、「はい」と答えて、幻のようにすぐそばに出現する。
「ご用でございましょうか、旦那様」
「こちらの方々が、例の品をこちらにお持ちせよとのご用命だ」
 乱暴な仕草にならないように気はつけていたが、どうしても投げやりなものが言葉にまざりこんで
しまう。
 アノレカードはまばたきひとつせず、かしこまりました、と一礼し、すべるように部屋を出ていっ
て、しばらくして厳重に封印された、古い革張りの箱を手にして戻ってきた。扉の前でまた一礼し、
客人たちの長であるジェローム司祭の前にそっと置く。
「聖鞭〈ヴァンパイア・キラー〉でございます。どうぞ、お確かめを」
 リヒ夕ーはぶすっとした顔で、ジェローム司祭のとがった鼻が疑わしげにひくつき、骨張った指が
封印を探るのを眺めた。やがて蓋が重々しくきしみながら開いた。
 ジェロームは目をぎらつかせて中身をのぞき込み、すぐに、あきらかに失望した顔で上席のリヒ
夕ーを睨みつけた。

171 名前:サーヴァント・ワルツその2 5/6 投稿日: 2007/09/24() 20:55:45

「家伝の秘宝にしては、ずいぶんと粗末なしろものではないか、ええ?」
「では、どのような品物ならばお気に召しますか。宝石作りの柄に、黄金の糸、聖なる銀の十字架に
飾られた、光り輝く宝物だと?」
 ばかばかしくなって、リヒ夕ーはからになった葡萄酒のグラスを音を立てて置いた。
「ヴァンパイア・キラーはそのようなものではありません。これは、わがベノレモンド一族が魔狩人と
しての役割を果たすことになった初代、レオン・ベノレモンドが、実際に魔と戦い、魔王を打ち倒すた
めに手に入れた鞭なのです。
 その後もこの鞭は数多くのわが祖先によって振るわれ、幾度となく復活する魔王ドラキュラを討ち
果たしてきました。この鞭は、飾りものではないのです。実戦の中で鍛え上げられ、魔を討ち果た
す、ただそれだけのために存在する破魔のための武器なのです。贅沢な飾りなど、この鞭にとっては
無用の長物です。その重ねてきた戦いと、魔狩人ベノレモンド一族の歴史すべてが、その一本の鞭に収
められていることを、どうかお忘れなきよう」
「だとしたら、ずいぶんとまたこれは、みすぼらしい歴史であることよな」
 ペトラス修道士が横を向いて聞こえよがしにひとりごとを言い、息を吸うような音をたててひっひ
っと笑った。
 テーブノレの下でリヒ夕ーは拳を握りしめたが、部屋の隅で静かに佇立しているアノレカードの姿を目
にして、あやうく自分を抑えた。
 耐えろ。今は耐えろ。彼のためだ。
 どんな高価な宝にもまさる大切な、彼という宝物を守るためなのだ。
 耐えなければ。
「ほんとうにこんなただの革鞭が、聖なる力を持っているというのか?」
 ジェローム師の耳障りな声はまだ続いている。
「どう見ても、使い古しのどこにでもある鞭にしか見えぬ。まさか、偽物を渡して、われわれを騙そ
うというのではなかろうな、リヒ夕ー・ベノレモンドよ?」
「騙す、だって──」
「リヒ夕ー!」
 あまりの暴言に、顔色を変えて立ちあがりかけたリヒ夕ーを、マリアがあわてて制止する。リヒ
夕ーはすんでのところで自制し、無理に椅子に腰を落ちつけた。

172 名前:サーヴァント・ワルツその2 6/6 投稿日: 2007/09/24() 20:56:33

「……お疑いの気持ちは、理解する」
 一言一言が舌の上で灼ける小石のように感じられたが、リヒ夕ーは乱れがちな呼吸を整えつつ、
慎重に言った。
「俺が闇神官シャフトの奸計に嵌り、自らドラキュラ復活の計画にわが身を捧げる寸前だったこと
は、すでに教会にも報告してある。もしかして、俺がシャフトのあやつり糸にまだつながれている
のではないかという、そちらの懸念も理解しているつもりだ。だからといって、今そこに置かれて
いるヴァンパイア・キラーが偽物だなどという、根拠のない非難はひっこめてもらいたいものだな。
 では本物である証を見せろと言いたいところだろうが、残念ながら、その鞭は魔物や悪魔相手に
しか真の力を発揮しない。もしそうしようとすれば、この場に、魔物なり悪魔なりを一匹呼び出し
て、そいつと俺が鞭を使って一戦やり合うのがもっとも手っとり早くて確かな証明になるんだが、
そういうことでいいのか」
「ちょっとちょっと、リヒ夕ー」
 興奮しすぎよ、落ちついて、というようにマリアが手を引っぱるが、リヒ夕ーは苛立たしげにその
手を振り払った。
「どうする? この場で召還の儀式でも行うか? だがそうすると、あんたたちが禁止している
黒魔術の業を、ここで行うことになるな。しかも、聖なる教会の修道士様が、こちらが進んで献上
しようとしてる家宝に対して、そいつが家宝らしく見えないってんでだだをこねた結果で。いい
のか、そういうことは? こういうことは、神様の御心に従うことになるのかい、ええ?」
「ちょっと、ねえ、リヒ夕ー」
「別に、魔物など召還する必要はないのではないかな?」
 あざけるようにジェローム師が言って、じろりと視線を横に流した。視線の先には、つつましく
睫毛を下ろしてまっすぐ立っている、アノレカードの姿があった。
 一瞬にして心臓が凍りつくような気がした。
「どういう意味だ、それは──」
「今回のドラキュラ城復活と再封印に関しては、リヒ夕ー・ベノレモンド、貴君とは別に、もう一人、
伝説の闇の中から抜け出してきた者が関与していたという、信頼できる情報が入っているのだ」
 ペトラス修道士がちびの背筋をそっくりかえらせて、偉そうに言った。
「その者の名は、アノレカード。──魔王ドラキュラの血を分けた息子にして、四百年前、ラノレフ・
C・ベノレモンドとともに、ドラキュラを打倒したとかいう、闇の子供だ」